| 第2回 山小屋生活 |
|
小屋は天然の冷凍庫 内部に入ってみて初めてそこが建物であることを知る——と、前回書いた。しかし実際小屋のなかにいても、建物の構造や大きさ、自分が今どこにいるのか、といったことは、しばらくの間まったく見当がつかなかった。とにかく内部は真っ暗なのだ。つねにヘッドランプをつけて行動しなくてはならない。場所によっては十メートル近い積雪の重圧に耐えるために、元々ある柱だけでは不十分なので、部屋や廊下のいたるところにパイプサポート(金属製の支柱)や木の支柱が、間伐されずに放置されたカラマツ林のように林立しており、暗がりのなかで鉄の支柱に頭をぶつけたり、床の段差に蹴つまずくこともあるからだ。 前後左右頭上足下とあらゆる方向に注意を払ってようやく「図書室」にたどり着く。食事時間も休憩時間も、最初のうちはこの部屋ですべて済ます。部屋の両サイドの壁には本棚が並び、山岳関係の書籍や写真集がギッシリ詰まっており、田舎の町村の図書室よりもよほど充実している。 部屋に入ってすぐに気づくのは、ビニール袋がいくつも天井からぶら下がっている光景だ。人がいない冬のあいだ、氷となって壁を覆っていた水分が、われわれの発する熱で溶け出し、雫となって落ちるのをこれらのビニール袋が受け止めているのだが、急激に上昇した気温で解けだした水分をこれだけでは受け止めきれず、ポタポタと滴り落ちる雫が、床やテーブルの上に落ち、にぎやかな音を立てている。
板きれでこすっているうちに、落とした霜が毛糸の手袋にくっつき、それが体温で溶かされるので、手袋がびしょ濡れになる。かじかんだ手を温めながら作業を続けるのだが、しだいに指先の感覚がなくなってくる。集めた霜を捨てるとき、便槽の底から吹き上げてくる風に乗って、放り投げたはずのモノが戻ってきて顔にくっつく。凍っているとニオイはしないのだが、顔にくっついて体温で溶け出すとほのかに香る。顔にくっついて解けた霜が、便槽の壁に付着していたモノでないことを願わずにはいられない。 小屋の仲間たち 入山初日の夜は修学旅行の宿のようだった。筆者も含めた五人の新人は、他の部屋が霜に閉ざされているということもあり、一部屋に押し込められた。これから二百日の山小屋生活に必要な所帯道具もろとも、五人の男が八畳間に入れられているので、布団を敷くととなりの人の肩が当たりそうな密集度である。 このような物理的な密集度が親近感をつくり出すのか、それとも、筆者以外の四人はすでに二日間の共同生活をともにしているためか、意気投合は早い。となりの古参スタッフ部屋からも一人が飛び入りし、親睦会が始まる。ここで、これから一シーズンをともに過ごす仲間たちを紹介しよう。カッコ内は当時の年齢。 松っつぁん(33) 電気工事会社から転身。肉体労働と名のつくものは何でもござれ。ケーブルやワイヤーにぶら下がっての「空中戦」が十八番、飛騨山岳会会員でもあり、岩や雪など何でもこなすオールラウンドプレイヤー。 オトメさん(24) 運送会社から転身。歯痛に苦しめられ続け、虫歯治療に有給休暇を使い果たす。朝昼夜の一日三回、外気温をはかるのが日課。ちなみに本文中に出てくる気温はすべて彼に提供していただいた。 八っちゃん(19) 神戸出身。高校時代は「花園」を目指したラガーメン。現在、穂高岳山荘支配人。 クラちゃん(18) 地元神岡町出身。高校時代は山岳部でこのあたりの山には詳しい。支配人の神(ジン)さんの助手としてかわいがられる。 以下は古参スタッフ。 ボン君(20) 地元の高校を卒業して電気関係の会社に入るが、一年で辞めて小屋へ入る。従業員二年生。 加川さん(26) 写真の専門学校を出て小屋へ入る。従業員六年目。神さんの次に支配人となるが、93年退職。 ヘイ子さん(23) 唯一の女性スタッフ。中学時代から穂高に通い続けているので仕事は大ベテラン、小屋の「生き字引」でもある。後に八っちゃんと結婚。 この他に、小屋の事実上のオーナーであるヒデオさんこと今田秀雄氏と、支配人の神憲明氏の管理職二名がいる。 スタッフが勢揃いしたということで記念撮影などしているうちに夜も更けてきた。羽毛服と帽子をかぶり、からだの上下を二枚づつの毛布でくるんで、さらに掛け布団を二枚掛けて寝た。窓の外はマイナス二桁だろう。明日も朝から除雪がつづく。 発掘作業 入山してからしばらくのあいだは連日除雪作業に明け暮れる。除雪といっても、玄関先や庭の「雪かき」や、屋根の「雪下ろし」とはちがう。場所によっては十メートル近い積雪にスッポリ埋もれた建物を掘り出す「発掘作業」だ。
次に雪を切り出す。雪の表面は固く凍っているので、スコップではまるで歯が立たない。そこでチェーンソーが登場する。雪洞やイグルーをつくるときにスノーソーと呼ばれる鋸が使われるのは知られているが、林業用のチェーンソーがこんなところで使われようとは、雪国育ちの筆者にも思いつかなかった。チェーンソーで切れ目を入れられ、さいころ上のブロックに切り分けられた雪を、スコップで掘り出し、次々とスノーシュートの上に投げ出してゆく。切り出された雪のブロックがこの通路を通って流れ、最後は滝の落ち口のように白出沢の谷底に吸い込まれてゆく。 大型連休が始まって登山客がどっと押しよせる前に、せめて玄関だけでも掘り起こさねばならない。とはいえ、毎日天気が続くわけではなく、吹雪の日は外仕事はできない。そんなわけで、天気のいい日は夜の帳(とばり)がすっぽりと空をおおうまで作業がつづくことになる。
チェーンソーとは別に今シーズンから試験的に小型の除雪機が導入されたのも、作業員にとっては有り難迷惑なのかもしれない。盛大に雪を吹き上げ、次々に雪山を平らげてくれるのはいいが、そのぶん、機械が吸い込みやすいように雪を崩さなくてはならない。こちらの方は人力である。
黄砂だろうか、遠くの山やまがやけにかすんで見える。今まで気づかなかったが、ここ数日で、岩ヒバリが姿を現した。こんな雪だらけの環境でどこに棲んでいるのだろう……。長時間手を休めているとサボっているように見えるので、テキトウに間合いを計りながら作業をつづける。 「ヒトの写真は撮らない」と噂される写真家・水越さんが下山し、入れ替わりに岐阜県警の常駐パトロール隊がやってきた。警察が来るということは事故が起こるということ、つまりはそれだけ登山者が増えるというわけで、除雪作業のピッチはさらに上がり、従業員と常駐隊員が総出で取り組んだおかげで、登山者がチラホラと姿を見せ始めるころには屋根の三分の二ほどが「発掘」され、玄関からの出入りができるようになった。しかし機械のペースにあわせた人海戦術が裏目に出たのか、作業(作業員の?)の質は低下し、スコップやチェーンソーで付けられたキズが屋根のあちこちに残った。こんなひどい仕事は見たことない、とボスの機嫌は悪い。 小屋のようす 除雪作業がすすむにつれて、埋もれた古代遺跡が発掘されるように、いままで姿形がわからなかった小屋が全貌を現してきた。 まず屋根の雪がおおかた片付くと、次に軒先が掘り起こされ、さらに掘り進んでいくと窓枠が出てくる。雪囲いを兼ねている雨戸を外すと、半年ぶりの陽光が部屋に注ぎ込む。厚い雪の層でおおわれ、低温状態に保たれていた室内の気温が急激に上がり、天井や壁をおおっていた霜が一気に融けだす。窓を開け、ストーブをたいて室内をじゅうぶん乾燥させ、布団を搬入して客室としてようやく体裁が整う。 上から建物を押えつけていた雪の重圧から開放され、柱とともに小屋を支えていた鉄のサポートが次々と外されてゆく。こうして廊下が歩きやすくなり、光も入るようになったので、小屋内部のようすがしだいにわかってきた。 小屋は北から順に、新刊・本館・新々館の三棟から構成されている。1958年に本館が建てられ、増加する登山客とともに次々と増築された。三棟から成る本館とは別棟の冬期小屋が北東側に、アルバイト小屋が北西側に建っている。定員は350名(当時)だが、最盛期には500人以上が寝泊まりする。名前は「山荘」でも、実態は大きな旅館だ。 水つくり 屋根の雪がなくなったおかげで二つのことが可能になった。ひとつは屋根の上での昼寝、もうひとつは水つくりだ。三千メートルの稜線上に湧水はない。しかし、小屋のまわりはしばらくのあいだ雪に取り囲まれているので「水資源」には事欠かない。調理や飲み水、風呂や洗濯につかう生活水はこれですべてまかなわれる。 水つくりの手順としては: 1.雪を屋根の上にばらまく。 2.五月の陽光に暖められた雪が融けだし、 3.軒先から滴り落ちた水は雨どいを伝ってバケツに集められる。 いたって原始的な方法だが、天気がいい日なら、わずか二時間ほどでドラム缶二本分(400リットル)の水ができる。液化石油ガス(プロパン)で雪を溶かして水をつくると、半日かかってドラム缶一本分もできない。経済的であるとともに「地球に優しい」。 こうしてつくった水で炊事をし、食器を洗い、洗面をする。五月の中旬になって雪が雨にかわると水つくりの必要はなくなり、天水利用になる。 |
| < 前へ | 次へ > |
|---|








