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山楽舎BEAR  
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2010/09/06 Monday 23:43:25 JST
 
 
山楽舎BEAR

山楽舎BEAR 

山楽舎BEAR 

Bureau of Ecotourism in Asahidake Range

 

山楽舎BEARは 「 大雪山の“いま”を楽しみ“あした”を考える 」 をテーマに、登山ツアー・エコツアーを行っているガイド組織です。

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第3回 営業開始
   おことわり

 1985年の記録なのに写真の撮影年月日が92年や94年になっているのはなぜ?という疑問が寄せられました。85年の一シーズンをアルバイトとして過ごしたあと、しばらく間隔をあけて1991年から94年までふたたび穂高岳山荘で従業員として過ごしました。また、仕事ではなく、遊びに行ったときに撮ったものも今後出てきます。日付が85年以外の写真は後年撮影したものです。ご了承ください。


   起こるべくして起こる事故

 昼休みに涸沢カールをのぞいてみた。カールのまん中にある涸沢ヒュッテのテント場には、百張ちかい色とりどりのテントがある。これが連休名物・穂高の「涸沢団地」だ。「団地」からは、稜線にむかって一直線に登山者の列が伸びている。松っつぁんいわく「アリの行列」である。また、穂高小屋前の雪原には特設売店が出来、ビールやジュースも売っている。1缶500円の缶ビールでもけっこう買う人はいる。この光景からはここが三千メートルの稜線だということは想像できない。


大型連休の「涸沢団地」
(1988年5月撮影)

 これだけ登山者が増えると、なかには常識のない人も出てくる。小屋から奥穂山頂へむかう縦走路は、小屋の裏から50メートルほどが急な岩場になっていて、梯子が二カ所、鎖が一カ所、設けられている危険箇所だ。このわずか50メートルを下るのに、40分近くかかっている三人組がいた。シャーベット状に“腐った”雪でアイゼンが利かず、苦労しているようだ。気の毒ではあるが、雪山に挑む登山者としてはやや思慮が足りないのではないかと苦言のひとつも言いたくなる。

 朝のうちは表面がかたく凍結して締まっていた雪も、日が高くなるにつれてゆるみだし、昼近くなるとザラメ状の“腐れ雪”になる。雪山登山者の常識として知っていて当然の知識だし、出発時間を早めれば回避できる危険でもある。にもかかわらず、もっとも気温が高くなる昼前後の時間帯に危険箇所をなぜ通過するのだろう。歩き方から察するに、あまりベテランのようには見えない。山頂でゆっくりしすぎたのか、途中でバテたのかはわからないが、とにかく危険を見越しての行動には見えない。


奥穂山頂へ続く急斜面
(1985年5月1日撮影)

 そのほかにも、雪山の常識を無視したか、または無知なカミカゼ登山者は多い。非常に初歩的な例では、サングラスをかけずに一日歩いて雪盲になり、天気がいいのに小屋で停滞している登山者がいる。ここにもし山小屋が無く、天候が悪化して動けなくなれば、救助隊を呼ぶことになる。立派な遭難だ。

 しっかりした山小屋が完備され、県警のパトロール隊が常駐するこのあたりでは、技量の低いカミカゼ登山者でも、天気さえよければ雪山を楽しむことはできる。が、ひとたび天候が悪化すると、未熟さが即事故につながる。そういう意味で彼らは遭難予備軍といえる。

 そんな「杞憂」が現実になった。前半は天候に恵まれたこともあり、何事もなかった穂高連峰も、連休後半になって事故が相次ぐ。

●5月3日午前10時頃、小屋のすぐ上の奥穂側の岩壁で滑落事故が起きた。二カ所ある梯子のうち、上部にある梯子を下りていた登山者が足を滑らせて転倒。滑落途中で、通称「カメ岩」でおおきくバウンドした反動で、投げ出されるような形でピッケルもろとも雪面に突き刺さり、そのおかげで、それ以上の滑落はしなかった。

 下で除雪作業をしていた数人がすぐに駆けつけた。本人は元気だったそうだが、カメ岩でバウンドした際に尻を強打し、「ケツは血まみれ」だったという。歩ける状態だったので、応急手当のあと自力下山。

●5月4日昼頃、奥穂・西穂間の間ノ岳(あいのだけ)付近を縦走していた登山者が、手がかりにしていた岩もろとも転落し、全身打撲・側頭部陥没の重体。ヘリで収容された病院で翌日死亡する。

●5月4日夕方、「滝谷C沢[註1]で岩登りをしていた8人パーティーのなかの二人が遭難し、ビバークしている。セルフレスキュー[註2]は出来ないので救助を要請する」との連絡が入る。

[註1]神通川上流の蒲田(がまた)川源頭部から北穂高西面に突き上げている急峻な沢で、「鳥も通わぬ」といわれる断崖絶壁で構成され、岩登りのメッカになっている。枝沢にはA沢・B沢・C沢・D沢と名前がついている。
[註2]セルフレスキュー 事故者以外の自パーティーのメンバーがケガ人を救助すること。


   三千メートルの湯船

 大型連休が終わったとたんに待望の雨が降る。これまでは太陽やプロパンガスで雪を融かしてつくった水をドラム缶に溜め、必要なときにヒシャクで汲んで使っていたのだが、この雨のおかげで貯水槽に雨水がたまり、蛇口をひねると水が出る「文明生活」になった。そればかりかこの雨はわれわれに入浴という最大の恩恵を与えてくれた。

 ちょうどこの日は、大型連休のあいだ小屋の仕事を手伝ってくれていた学生アルバイトの女の子を、涸沢ヒュッテまで引率するという仕事を命ぜられ、雨のなかを三時間歩いて小屋に帰ってきた。小屋の敷居をまたぐころには、革の登山靴のなかはぬかるみのような状態で、一歩踏み出すごとにグチャグチャと音がしていた。そんな状態だったから、暖かいフロはほんとうに天の恵みだった。

 入山以来フロに入らない日が二週間以上つづき、その間下着も取り替えていなかったので、用足しに行ってズボンを下ろすたびに、熟成されすぎた納豆のような異臭が鼻を刺激した。しかもここのところちょっと下痢気味だったし、……やめておこう。

 風呂の湯は、貯水槽にたまった貴重な雨水を炊事用の石油ボイラーで熱したものだ。小屋での生活が長くなってゴミがたまってくると、このゴミを燃料にして風呂をわかすようになる。

 小屋主のヒデオさんの話では、湯船の水面が海抜3000メートルになるように設計したというが、計算上若干低いような気もする……。冷えきった体には湯が熱く感じる。窓外の雨風にくらべてフロのなかは天国だ。洗髪をしヒゲを剃ると、「文明人」に戻った気がする。入浴後は洗濯もできたので、、納豆臭の下着ともオサラバだ。山小屋生活では下着のストックは多い方がいい。


   「大鉱脈」あらわる

 大型連休の涸沢ヒュッテは、テント泊が五百人、小屋泊まりが二百五十人という「ここ十数年ない」混みようだったという。『ヤマケイ』[註1]に涸沢特集が組まれた影響が大きかったのではないか?と、涸沢ヒュッテのスタッフの方も言っていた。穂高小屋でも、五月四日の110人という宿泊者数は空前の数だったらしい。しかし、ひとたび大型連休が終わると、列をなして稜線を目指していた登山者は去り、仕事がなく一日中雀卓を囲んでいた「パトロール隊」も下山した。


ネタを背負ってきたお寿司屋さんが、「にぎり」をごちそうしてくれた。
(1994年5月撮影)

 お客が去った山小屋では、食事の支度や布団の上げ下げといった仕事もなくなり、あとは毎日除雪作業が続く。とはいえ、期限が決まった仕事ではないし、何もしなくてもある程度は溶けるので、連休前のような切迫感はない。そんなわけで、小屋の仕事が一気にヒマになり、人手が余るようになる。従業員はそれぞれに順次休暇をとって下山し、てきとうな時期に戻ってくるという状況になるので、小屋の顔ぶれが入れ替わり立ち代わり変化する時期がしばらくつづく。

 頭数が減ったとはいえ、他にやることもないので除雪作業が延々とつづいていたある日、一階の窓の下あたりを掘り返していると、オレンジ色に染まった雪が出てきた。黄砂が混じってうっすらと黄色くなった雪とは明らかに違う。ここまで鮮やかに色がついている雪は見たことがない。当然これは自然現象ではなく、人為的に染められたのだ。“勇気”をだしてスコップをいれてみる。……と、出てくるわ、出てくるわ。オレンジ色の雪の下には茶褐色の固形物。さらにそのまわりにティッシュペーパーが……。このあと数カ所で見つかったものがほとんど同じ深さであることから、年末年始に登山者が残していったキジ場[註2]跡かと思われる。

 ウンコそのものと、まわりを取り囲むオレンジ色の雪をすべて掘り返すと、スノーダンプ五杯ぶんの「大鉱脈」。ウンコ運び専用のルートを新たにつくり、こぼさぬように慎重に運ぶ。雪の中で冷凍保存されていたウンコが、五月の陽光を浴びてしだいに融けだす。冷凍保存の効果は絶大で、往時を偲ばせる新鮮な臭いが鼻を突く。「山のトイレ問題」などまだ存在しなかった時代だったので、掘り出されたウンコはすべて白出沢に投棄した。風の強いときは、谷底から吹き上げる風に吹き上げられて舞い戻ってくるので、“返りウンコ”の直撃に遭わないためには、スノーダンプで運んだウンコを谷底に投げた瞬間に身をかがめて除けなければならない。

 それにしても、小屋の軒先から一メートルも離れていない場所にキジを撃つなんて、考えられない——と、常識人なら思うだろう。とんでもないマナーの悪い登山者、こんなヤツにヤマをやる資格などないと非難されても当然かもしれない。ところが、実際に冬山に登ったことがある人だと、この辺りの事情は想像がつく。

 冬山では、移動性高気圧におおわれたり、低気圧が接近しているような“異常”気象でないかぎり、風は北西から吹いてくる。これがシベリアから海を越えてくる季節風で、用足しの途中でとつぜん風向きが変わったりして、オシッコの雫がズボンにひっかかったりすると、瞬間的に水滴が凍ってしまうほど風が冷たい。吹きっさらしの稜線上なら仕方ないが、木や岩などの遮蔽物があれば、その陰に隠れて用を足したくなるのは当然だ。次から次へと発掘された「大鉱脈」がすべて小屋の東側(=風下側)なのは、建物の陰で風が当たらないからだろう。

 それにしても、と思う。冬期小屋にはトイレがある。にもかかわらず、多くの人が外で用を足すのは、よほど切羽詰まっていたからなのか、一つしかないトイレの個室を使うために並ぶのが嫌だったのか?携帯トイレがなかった時代なので、仕方ないといったら仕方なかったのだろうが、処理をする側のことは何も考えていない。これは二十年以上前の話だが、現在はどうなっているのだろう。久々に訪ねてみたい気もする。

[註1]『ヤマケイ』 山岳雑誌『山と渓谷』の通称。
[註2]キジ場 登山者が山で用足しすることを、その姿から、「キジ撃ち」といい、用足しする場所を「キジ場」という。女性の場合は「お花摘み」。
 
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