| 第5回 太陽と風のロビー |
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穂高小屋を訪れた登山者がまず目を留めるのが玄関の右手にあるロビーだろう。85年当時新鮮だった丸太小屋ふうの内装、まん中にどっしりと陣取る北欧製の薪ストーブを囲むように並ぶ白木の椅子。3000メートルの稜線上とは思えないAVシステム、室内を静かに流れるバロックの調べ、果ては気象ファクスまで備えている。天井から吊り下げらたランプはいかにも山小屋風だが、じつは電球が仕込まれている。 ロビーとは廊下を隔てて反対側(西側)には、これも白木造りの大きなテーブルと本棚が置かれ、山岳関係の本や写真集がギッシリ詰まっている図書室がある。コーヒーをすすりながら読書にふける、あるいは窓の外の景色を肴に同行の友と語り合う登山者たちで、最盛期には椅子が満席になる。そしてこのロビーの最大のウリは、AVシステムやファクシミリ・照明などに使われる電気が「太陽と風」で創られていることだ。 昔は山小屋といえば、吹雪の日には、壁板の隙間から雪が舞い込むような粗末な造り、暗い灯油ランプの照明、ルンペンストーブを囲んで片寄せ合って暖をとる——のが一般的なイメージだった。ところが高度経済成長期の登山ブームで山小屋の姿は一変する。大挙して押しよせる登山者をとにかく収容するために雑魚寝用の大部屋と、一度に大人数を処理できる大食堂をそなえた大型の「山小屋」へと変貌したのだ。 こうした“バブル景気”を謳歌した山小屋業界も、石油ショック以降の景気低迷で80年代中期にはしだいに客足が遠のいていた。以前のような(大食堂で)「食べて」(大部屋で)「寝る」だけの山小屋では、これからの登山者を惹きつけるのは難しくなってきていた。いつ干したのかわからない湿って重い布団や、芯があるまずい飯をだすような小屋は敬遠され、快適な小屋を選ぶのは当然だし、それが可能な時代になってきていたのだ。いかにお客を大量に詰め込むかという「量の時代」からいかにお客さんに喜んでもらえるかという「質の時代」、少ないパイを奪い合う「競争の時代」に入ったといえるかも知れない。その後、90年代初頭にかけて経済のバブルと「百名山ブーム」が起こり、ふたたびバブルの時代になるのだが、この時点ではそれは想定外の出来事だった。 そんな時代のなかにあって、穂高小屋の「太陽と風のロビー」は21世紀の現在でも通用する、時代を先取りした画期的な試みだった。太陽光や風力のような自然エネルギーの利用は「未来」を連想させ、一方で薪とランプというノスタルジックな演出は「古きよき時代」の山小屋を想起させる。その上、太陽光や風力による自然エネルギー利用システムはマスコミの目を引きやすい。「アイディア経営者」のいる「ユニークな山小屋」としてしょっちゅうメディアの取材を受ける一石二鳥のスマートなPR方法だった。 とはいえ、山小屋が快適であることを当然と考える登山者が増えることによる弊害もある。水道から水を出しっぱなしにしたり、トイレットペーパーを大量に使うような、“下界のホテル”と同じ感覚で訪れる人たちには、いま使っている電気や水がどうようにして「つくられる」のかをぜひ知って欲しいところだ。 穂高小屋の「自然エネルギー利用研究」は、先代の重太郎さんの時代・1961年にはじまった出力300キロワットの風力発電がその起源だ。「機械材料の運搬にはまったく苦労したが、先ず奥穂高寄りに丸太三本を組み合わせた櫓を立て、その上にプロペラ付き発動機を取り付けた」(前掲『穂高に生きる』)。強風によるプロペラの破損や発電機のたび重なる故障などで、風車の維持費よりもガソリンで発電機をまわすほうが安くつく——という理由で、この研究はその後一時中断を余儀なくされる。しかし、幾徳工業大学(現・神奈川工科大学)の研究協力のおかげで改良がすすみ、ようやく実用化に成功した。さらに去年(1984年)からは太陽光発電の研究も始められ、ことしから実用段階に入ることになっていた。 荷揚げ 「太陽と風のロビー」に電力を供給する「自然エネルギー利用システム」を稼働させるのに必要な物資の荷揚げが始まった。 5月18日の早朝、ベトナム戦争で使われていたものと同型といわれる大型のヘリコプターが小屋の屋根越しに姿を現す。一回700Kgの荷を次々に落としてゆき、総量で約10トン、人力だと、一人33.3Kgの荷を背負ったとして、三人チームで一回100Kgの荷を百往復して背負い上げなくてはならない量である。 太陽光パネルや風車用のやぐらの骨組みなどの「自然エネルギー利用システム」用の機材のほかに、米・みそ・ビール・冷凍食品などの食材、白木のテーブルや椅子も同時に荷揚げされた。これらの「揚げ荷」の替わりに、空になったドラム缶などの「下げ荷」がヘリにつり下げられて降ろされる。空中に停止(ホバリング)しているヘリから、揚げ荷のネットを外し、あらかじめ梱包しておいた下げ荷のネットを、機体から吊り下げられた金具にすばやく懸け替える。ネットを懸け終えて、パイロットに合図を送ると、機体が舞い上がり、岩壁の彼方へと消えてゆく。 臨時のヘリポートになっている小屋前の雪原から、除雪用のスノーシュートでつくった滑り台を通って、空輸された物資は次々と小屋内へ流し込まれる。滑り台の下にはどんどん荷物がたまってゆくので、荷が滞らないように、次から次へと荷を所定の場所に振り分ける。 荷揚げのペースはヘリ次第なので、ここでも機械に人間が合わせる「モダンタイムズ」的労働を強いられる。ヘリは一度に700Kgの荷を上げることができるが、ヒトは頑張っても一度に50Kgが限界だ。もうちょっと間隔をあけてきてくれよと願っていても、期待は見事に裏切られ、10分もしないうちに次のヘリのプロペラ音が迫ってくる。休みなく体を動かし続けても、前のヘリが運んできた荷物を処理しきれないうちに次の便がやってくるので、雪だるま式に荷がたまる。休むことはおろか、ペースを落とすことさえできない。 こんな状態が二時間あまりも続いたろうか。プロペラが空気をふるわせる音が止み、穂高の山々にようやく静寂がもどった。 自然エネルギー利用システム 太陽光発電 荷揚げの翌日、太陽光パネルがさっそく屋根に設置された。 パネルは一枚がタタミ半分よりちょっと大き目のサイズでガラス張り、光のエネルギーを電気エネルギーに変換する直径約10センチの「セル」が表面に70個ほど並んでいる。重いうえに表面がガラス張りなので、屋根の上まで運搬する作業には神経を使う。
取り付け作業は、雲天強風の天候のもと、物資とともに昨日入山した幾徳工業大学のS先生の指導で進められた。鼻水をすすりながら、かじかんだ手でナットを締めた甲斐あって、夕方までに設置が完了。太陽の照射角度を計算し、32枚のパネルはすべて南東を向いている。 風力発電 “老舗”の風力発電のほうも改良が加えられ、三基あったやぐらのうち一基を撤去してそこに新しいやぐらを設置し、風速計も新しいものと取り替えた。一口に「やぐらと風速計を設置した」というと簡単そうに聞こえるが、氷河期に起源をさかのぼる岩塊斜面では、設置場所の造成からして大変な作業だ。 穂高小屋のばあい、ほとんど常に風は西から吹いているので、風力エネルギーの“供給源”は白出沢だ。白出沢を吹き上げる強風が風車をまわして電気を起こす。とうぜん、すでに二基ある風車も、小屋の奥穂高寄りの崖上に、白出沢(西側)を向くように設置されている。猫の額ほどの白出のコルの、岩だらけの荒れ地を造成し、新たに風速計を設置する場所をつくるのがわれわれの仕事だった。 めぼしい場所を見つけたら、そこにある岩を一つずつ除けてまわりに積み上げ、平地を“創る”。掘り進むうちに岩が石にかわり、小石になるが、砂利や土は見つからない。最終氷期から現在にいたるまでの間でも、ここでは砂利さえ形成されなかったらしい。さらに掘り進むと、やがて小さな石が互いに凍りついて剥がれなくなる。ツルハシでも歯が立たない凍土(凍石?)層だ。穂高で永久凍土が見つかったという話は聞いたことがないので、奥穂側の斜面に残る雪渓から滲みだした水が氷結したのだろう。 こうして造成した平地に風速計用のやぐらと支柱を建て、掘り返した岩で足下を固めて倒れないようにする。悪天時には瞬間最大風速50メートル以上といわれる強風にも耐えられるように、しっかりと土台を固定しなくてはならない。やぐらの運搬もタイヘンだった。小屋の前、つまり涸沢側の臨時ヘリポートに降ろされた全長二メートルもある鉄製のやぐらを、小屋のまわりをぐるりと半周させて白出沢側まで運ぶには、従業員総出でかからなけらばならなかった。
そうこうしているうちに、あちこちに延びていた電線が整理され、荷揚げされた多くの計器類も収まるところに収まり、とりあえず「自然エネルギー利用システム」は完成した。太陽と風がつくった電気でビデオが見れる、CDが聞ける。山小屋に電話があることさえありがたかった時代に、気象会社から転送してくる気象情報をファクスで受信できる。電気湯沸かし器で湯がわかせる——ハズだった。ところが、準備がすっかり整った「自然エネルギー利用システム」は、悪天候のために稼働しなかったのだ。 あるていどの強風なら発電可能な風車も、プロペラが暴走してしまうほど風が強いときは、破損防止のために、ロープで固定しなくてはならない。「風吹けど回らず」では発電はできないのだ。とうぜん太陽が姿を見せないので、太陽光パネルも電気をつくれない。しまいには、バッテリーに蓄えられていた「去年の秋の風でつくった」電気も底をつきはじめ、「節電令」まで出てしまった。天候が回復してシステムが稼働しはじめたのは、準備がすべて整ってから三日後だった。 これで「太陽と風」のクリーンエネルギーだけで生活できるかといえば、じつはそういうわけにはいかない。春先や秋の終わりなどの、お客が少ない時期であれば、自然エネルギーだけで需要をまかなえるのだが、一日に300人から500人もの宿泊客が押しよせる繁忙期には、自然エネルギーだけでは需要に追いつかない。どうしても発電機をまわさざるを得ないのだ。とはいえ、「sustainable energy 持続可能なエネルギー」などという言葉が一般人には縁のなかった時代に、化石燃料だけにたよらない発電システムに挑戦したのは、画期的な試みであったことは間違いない。 薪ストーブ 「自然エネルギー利用システム」とならんで、「太陽と風のロビー」の主役は、ヒデオさん自慢の薪ストーブ「醜いアヒルの子」だ。デンマーク製のこのストーブは、「アヒルの子」だけあって、高さが一メートルほどのさほど大きなものではないのだが、持ち上げようとするとやたらに重く、クラちゃんと二人でヘリポートからロビーへ運んだだけで息が切れてしまった。 ヒデオさんの薪ストーブに対するこだわりは強い。冬のあいだ、あらゆる種類の薪をストーブにくべて燃焼実験を繰り返し、最良の薪はなにかを研究したのだという。その結果「ミズナラの15年ものを30センチ・プラスマイナス1センチの長さに切り、水分が15%以下になるまで寝かした」薪が一番よいという結論に達した。[註]
薪ストーブは石油ストーブにくらべるとかなり火力が強い。吹雪の日でも、太い薪を五・六本つっこんで、ストーブが真っ赤になるほど燃やすと、周囲一メートルくらいには近寄れないほど高温になる。ところが穂高小屋では、ボンボン燃やしてストーブが真っ赤になるのは、「ストーブによくない」ので、「薪は三本以上入れるな」とヒデオさんは言う。「羽毛服を着込んであたらにゃならん」と神さんに冷やかされるほど暖かくない。どうやら、実用よりも雰囲気を重視したPR戦略らしい。 [註]『ヤマケイ・グラフィック』1986年春号参照 |
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