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2010/09/06 Monday 23:35:06 JST
 
 
山楽舎BEAR

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Bureau of Ecotourism in Asahidake Range

 

山楽舎BEARは 「 大雪山の“いま”を楽しみ“あした”を考える 」 をテーマに、登山ツアー・エコツアーを行っているガイド組織です。

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第6回 明神岳へ
 上高地の大正池あたりから穂高連峰を眺めてみる。いちばん先の尖った山頂が西穂、そこから右手に延びるサメの歯状の稜線がいちばん高くなるあたりが主峰の奥穂、まん中がやや垂れ下がった吊り尾根をへだてて前穂があり、さらに右手にこぶ状の尾根がつづいている。それらのこぶのなかの最高峰が明神岳で、標高は2931メートル、西穂よりも20メートルほど高いのだが、登山道がないために訪れる人もほとんどなく、静かな山だ。


大正池から見る穂高連峰
(1993年3月23日撮影)


 5月も終わりに近づいた30日の朝、晴れわたった空を見て「前穂へ行こうよ」と声をかけてきたクラちゃんの誘いに乗って、「ついでに」訪ねることになった明神岳だったのだが……。



 朝食の片付けとそうじをすませ、九時に小屋を発つ。地図と磁石・ヘッドランプ・カメラ・アイゼン・行動食・頂上での乾杯用のビールをザックに詰めただけの軽装だ。まさか使うことはないだろうと、6ミリの補助ザイルは、部屋のなかへ放り投げてきた。ところがこの判断が、その後のわれわれの行動に微妙な影を落とすことになろうとは、この段階では予想できなかった。

 奥穂山頂へむかう縦走路にはまだ所どころ残雪があり、表面が凍結していた。アイゼンを付けたり外したりするのが面倒くさいので、雪渓を避けて東側の岩稜から山頂を目指す。小屋からいきなりの急登で息が切れる。高度が上がるにつれて空の青さは増し、たどりついた「日本で三番目に高い空」は抜けるように澄み切った色をしている。

 雪をまとった北アルプスの山々ははるか彼方まで累々と連なり、脈打っているようだ。終日ここにいても飽きることはないだろう。雲を見ているうちに天気がやや下り坂であることに気づいた。絹層雲がうっすらとベールをひろげ、すじ雲が出てきた。とはいえ、日中いっぱいは心配することはないだろう。なあに、晩飯までに小屋に戻ればいいのだから、心配することはない。時間はたっぷりあるさ、と、重い腰がなかなか上がらない。

 奥穂から前穂へとつづく稜線は「吊り尾根」と呼ばれている。蚊帳を吊ったときに、自重でまん中が垂れ下がるように尾根の中央部がたわんでいるので、この名がつけられたという。「吊り尾根」とは固有名詞ではなく、奥穂・前穂間のほかに、北アルプスでは後立山連峰の鹿島槍、南アルプスでは北岳のものが有名だ。


前穂(左奥)から奥穂(手前)へ続く吊り尾根
(1985年11月2日撮影)


 “根が張る”前に腰を上げ、のんびり景色を楽しみながら吊り尾根を下る。吊り尾根の最低鞍部からは、
イ.稜線伝いに前穂山頂を直接めざす直登ルート
ロ.前穂山頂を巻いて、岳沢(だけさわ)から登ってくる登山道との合流点「紀美子平(きみこだいら)」から山頂を往復する一般路の、二つのルートがある。距離と時間の短縮のため、我々は「直登ルート」を行くことにする。道ばたの大岩に白ペンキで「分岐点」と書かれた表示があるが、どこから取り付いてよいのかよくわからない。ルートを示す白ペンキの「○」印をたどっているうちに、道はどんどん山腹を巻き、オカシイナと思っているうちに「紀美子平」に着いてしまった。

 紀美子平では、岳沢への下降路と、山頂への登山道とが合流している。岳沢から登ってきた登山者はここでザックを降ろし、空身で山頂を往復してから奥穂へむかう。重い荷を背負って、高度差200メートルを登りたくはないからだ。

 岳沢への下降路は踏みあとがはっきりしているのに、山頂へむかう登山道はルートが判りづらい。とにかく上に行けば山頂なので、いい加減に岩場を登りはじめるが、道筋がさっぱり判らない。というよりも、ルートを外したことがはっきり判ってきた。ホールド(手がかり)が脆く、いまにも崩れ落ちそうなルンゼ[註1]や、いつ転がりだすかわからない浮き石だらけの岩場を登ったり、パイ皮状にうっすらと岩にへばりついている草付き[註2]を、植物の茎を鷲づかみにして恐る恐る登ったりで、危険きわまりないのだ。このまま行ったら、断崖絶壁の上に出て進退極まるのではないかと不安になったのもつかの間、とつぜん目の前に登山道が現れた。

 身にふりかかる危険がなくなると、勝手なもので、こんどは時間の経過がやたら長く感じられる。全身全霊を傾けないまでも、持てる力の七割程度をつねに必要とする岩登りや沢登りだと、常時緊張を強いられるので、時間は短く感じるが、緊張感のない登山道の登り、とくにザックが重い場合などは、一・二分おきに時計を見たくなるほど時間が長く感じられる。紀美子平から前穂山頂への登りはまさにこれで、まるで永久に続くのではないかと思えるほど長く感じた。

 いったいいつまで続くんだっ!と、訳もなく腹を立てているうちに、とつぜん視界が開け、明神岳が顔を出した。まったく現金なもので、その瞬間、溜まりにたまった鬱憤は雲散霧消し、得も言われぬ快感へと昇華する。山に登るものでなければ味わえない感覚。極論すれば、この瞬間を追体験するために、人は山へ登り続けるのかも知れない。

 さて、ここで目のまえに気になるものが現れた。眼下に見える明神岳へと続く踏み跡に入り込まぬよう、足下の岩にペンキで「× 止マレ」と書かれているのだ。正規ルートではないので、一般登山者が入り込まないように付けられているのだろう。しかしながら、「止マレ」と書かれていたら「止マ」りたくないのがヤマ屋の心理というもの。高山植物の保護のための立ち入り禁止ではないのだし……。この場所にはこんな看板のほうがふさわしいのではないか。


前穂山頂から望む明神岳(手前)。
遥か後方に富士山と南アルプスが見える。
(1985年5月30日撮影)


「これより先は一般の登山道ではありません。よく考えたうえ、ご自身の判断で行動してください 管理者」

これなら自信のない人は遠慮するだろうし、行きたい人は“自己責任”で挑戦できる。なにがなんでも危険だから「止マレ」では能がない。事故があったとき、管理責任を問われぬように言い逃れをするためだけの文言は目障りだ。ともあれ、まずは山頂を踏むのが先決なので、回れ右して前穂山頂へむかう。

 南北に長い山頂の南端にある一等三角点からの眺めは“見事”だった。槍ヶ岳から北穂・奥穂・西穂へと続く日本アルプス屈指の展望を背に、所狭しと散乱するゴミの山。放置された一斗缶のふたをヒョイと持ち上げると、食べ残しの食料がある。ふたの裏側には「K大学山岳部冬期合宿用」と、わが母校の山岳部の名が大きく書いてある。後で回収にくるのだろうか。ハエが群がっているのはキジ場跡だ。


前穂山頂にて。背景は槍穂高連峰。
(1985年5月30日撮影)


 山頂で昼飯にする。食べているうちに目のまえにある前穂北尾根を「ちょっと見て」みたくなった。日本のアルピニズムの黎明期、先駆的な岳人たちが初登を争った場所であり、慶應山岳会の大島亮吉が夭折したこの尾根は、岳人たちの憧憬の場になっている。

 尾根が分岐している山頂の北側までまわりこむ。「これ行けそうだね」とクラちゃんが言う。「行けるところまで行ってみようか」とが答えるが早いか、尾根を下りはじめる。とくに危険箇所もなくII峰[註3]との鞍部に出た。

 500メートルほど下の奥又白谷の源頭部まで足下がスッパリと切れ落ちているので、高度感はかなりのものだが、岩が安定していてスタンス(足場)が崩れ落ちる心配もなく、IIへ登ることができた。展望的には一等三角点の本峰よりはるかに劣る。長居は無用、と、山頂にもどる。

 往復20分ほどの寄り道はしかし、「北尾根もこんなものか」と根拠のない自信を我々に植えつけた。こういうのがいちばん危ない。そしてここで得た根拠のない自信が、我々二人を退っ引きならぬ状況へ追い込んでしまうことになる。



 当初の予定ではここが最終到達点のはずだったが、時計の針はまだ12時をまわったばかり。いまから戻れば、3時には小屋についてしまう。どうにも中途半端だな、などと考えているうちに、先程の「× 止マレ」が気になりだした。

 二時間もあれば明神山頂まで往復できるんじゃないか。明神岳を往復してから小屋へ戻れば、ちょうど晩飯になる。踏み跡はあるのだから、時間的にキツければ途中で戻ればよい。「行けるところまで行ってみよう」と、かんたんにコトを決め、歩き出す。

 踏み跡は「ちょっと荒れた縦走路」程度の道だった。所どころ道が途切れているが、テキトウに歩いていくとまた踏み跡が見つかる。よく踏まれた道ではないが、登山靴に踏まれて岩肌が薄桃色に変色している所がルートだから、その上を歩けばよい。苦もなく、前穂-明神間の最低鞍部に出てしまった。

 茶褐色の夏毛に着替えた雷鳥が我々を出迎えてくれる。穂高の雷鳥は警戒心が強いのか、あまり姿を見せないのだが、この個体は、我々が近づいてもノロノロと歩くだけで、“本気”で逃げる気はないようだ。ケガをしている様子もないので、ひょっとしたら近くにヒナがいるのかも知れない。


夏毛の雷鳥
(1985年5月30日撮影)


 最低鞍部からは急に踏み跡が不明瞭になった——じつはルートを外し、危険な“道”に迷い込んでしまっていたのだが——。幅40センチほどの岩棚(テラス)が岩壁にそって続いているだけだ。この幅では足を置くだけで精一杯、一歩踏み外せば「終わり」だ。600メートルにもおよぶ奥明神沢の絶壁に、激しく体を打ちつけてははじき飛ばされながら、絶命した屍となって遺体収容用の担架に乗せられる……。小屋を出てきたときに、置いてきた補助ザイルが悔やまれた。

 奈落の底を見ないようにトカゲのごとく岩壁に張りつき、一歩ずつ慎重に足をはこぶ。岩棚の途中に、人間くらいの大きさの岩が垂直に立っている。やっと現れた崩れる心配のない手がかりなので、迷わずしがみつく。大岩の向こう側の足場は幅30センチもない。右足をグッとのばして足場に乗せ、次に右手。が、手がかりが見つからない。目の前の岩が遮蔽物になって視界をさまたげるので、上手く手がかりを探せないのだ。いちど足場に乗せた右足を戻そうとすると、バランスを崩してしまう。何がなんでも前に進むしかない。ええい、なるようになれ!岩に体を押しつけ、強引に体を前方へ持っていく。足場があった。助かった!しかし、むりやり大岩を越えたからには、もう後には戻れない。生きて大岩の後ろにもどるのはたぶん無理だ。もう、「ルビコン川を渡って」しまったのだ。

[註1]ルンゼ 沢すじから稜線にむかって突き上げている廊下状の急峻な岩溝。ガリー、クーロワール。
[註2]草付き 岩盤のうえに薄い土壌が形成され、植物が生えている箇所。
[註3]II峰 前穂北尾根は八つの顕著なピークからなるサメの歯状の尾根で、前穂山頂(I峰)から高い順にII峰・III峰・IV峰…と数えてゆく。
 
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