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2010/09/06 Monday 22:45:24 JST
 
 
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Bureau of Ecotourism in Asahidake Range

 

山楽舎BEARは 「 大雪山の“いま”を楽しみ“あした”を考える 」 をテーマに、登山ツアー・エコツアーを行っているガイド組織です。

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第7回 無事生還?
  行く手を見ると絶望的になる。足を乗せられる岩棚の幅は30センチ弱、しかも浮き石だらけ。足を乗せたとたんに崩れるかも知れない。しかも岩壁(フェイス)はオーバーハングしている。足下から弧を描いた岩壁が胸元にかけて大きく膨らみ、空中にせり出しているのだ。とうぜん落ちる危険はある。自分が落ちなくても、クラちゃんが落ちても、助けられるような場所ではない。急に心細くなってくる。でも進むしかない。

 大きくせり出した岩壁が視界を遮って前方が見えないので、良い足場があるかどうか判らないが、岩の向こう側に思い切って足を伸ばしてみる。あった!一気に体重をかけると崩れる心配があるので、徐々に体重をかけてゆく。今度は右手を伸ばす。見えないホールドを手探りでさがすうちに、自分の意志とは無関係に足が震えてくる。止まれ!と念じてもますます震えはひどくなる。このまま四点支持[註4]で岩に張りついていては進むことも退くこともできない。結論はひとつ。せり出した岩の向こうに足場があることを信じて、身を乗りだすこと。

 南無三!むりやり上体を右側へ移動する。ウマい具合に岩棚がある。ここなら両足で立つことができるし、クラちゃんが来ても、二人ぶんの空間が確保できる。ひとまず助かった。


明神岳への“道”
(1985年5月30日撮影)


 とりあえず身の安全は確保できたので、後ろから来るクラちゃんに指示を出す。やはり、大岩の向こう側からは、こちら側のようすが見えずに苦労している。真剣な表情で岩に張りついているクラちゃんの姿を見ていると、なぜか足の震えがひどくなる。

「もうちょっと、足を伸ばして。そう、そこっ!」。どうにかクラちゃんも“安全地帯”にたどりついた。

 垂直にちかいルンゼのなかの小さな岩棚——そこが我々の現在地だった。足を踏み外さないかぎり落ちる心配はないが、このままでは前進も後退もできない。文字通り「退っ引きならない状況」というヤツだ。前方には進むべきルートは見当たらないし、「ルビコン川を渡って」しまった以上、引き返すこともできない。残された道は、「垂直にちかいルンゼ」を登か下るかのふたつにひとつ。ザイルもなしに下降するのは転落の危険が大きい。つまり上に登るしかないということだ。せまい岩棚の上でいつまで考えていても仕方ない。登りやすい位置にいるクラちゃんに、トップで登ってもらうことにする。

 逆層気味[註5]のルンゼは、かんたんに登れそうには見えないのだが、クラちゃんは確実に高度をかせいでいる。
「どう?登れそう?」——下から声をかけてみる。
「なんとか!」と、クラちゃんの答え。
ときどき落ちてくる石を避けつつ、どうか落ちませんように、と祈る。もういちど訊いてみる。
「どう?」
「だいじょうぶ!」。(やった!)
「そこにいてくれ。いま登るから」。

 脆くていまにも崩れそうな斜面を、手で岩を引っぱったり足で踏んでみたりしながら、一カ所ずつ確認し、体重をかける。「落(ラク)ッ!」という声とともに、ブーンという鈍い音をたてて岩が頭の後ろをかすめてゆく。クラちゃんが歩いた振動で岩が崩れるほど、ここの岩場は脆い。手元・足下・頭上にまで神経を集中させて登る。

 こうしてなんとか最初の岩峰へよじ登ると、信じられないことに、明神山頂へとむかうしっかりした踏み跡がついているではないか。我々が通ってきた“ルート”はいったいなんだったのだろう?信州側の中空へむかって斜めに突きでた形の山体のためか、飛騨側の山腹にそってルートが付けられている。いったん小鞍部へ下り、ふたたび登り返すと、そこはもう明神岳主峰だった。

 我々の立っている主峰(2931m)のほかに、明神II峰と呼ばれる岩峰がすぐ南側にある。薄切りカマボコ状の主峰と対照的に、槍の穂先のような鋭く尖った岩峰は、岩登り専用らしく、装備を持たない我々には登れそうにない。風雪にさらされたような古びた固定ザイルが、不安げに岩壁に垂れ下がっている。


明神岳にて。背景は西穂高岳
(1985年5月30日撮影)


 せっかく踏んだ明神岳山頂だったが、ちっとも気が晴れないのは、無事に帰れる保証がないからだ。クラちゃんが高山蝶を見つけても、見に行く気になれない。いっそのこと、西側斜面を下降して岳沢ヒュッテ[註6]へ下れないだろうか、などと思ってみたりもするが、こんな絶壁を岩登りの装備なしで無事に下れるはずもない。

 ここで無駄に時間を費やしているうちに日が暮れでもしたら、小屋の人たちが動き出して遭難騒ぎになるので、とにかく出発した。さっきの岩峰まで下るあいだに、あの恐ろしい岩場を通過せずに最低鞍部まで下りるルートがないものかどうか、様子を見ながら歩くのだが、見つけ出せないままに岩峰に着いてしまった。


明神岳から見る吊り尾根
(1985年5月30日撮影)


 来るときは、飛騨側の「垂直にちかいルンゼ」をむりやり登ったのだが、信州側から最低鞍部へとなんとか下降できないものかとルートを探す。垂直に切り立った絶壁を飛び降りるくらいしか方法はないのか——。半分ヤケになってのぞき込むと、急な岩場の上に、そこだけ岩肌が変色している部分がある。人が通った跡のようだ。

 しっかり三点支持をして岩場を下りはじめる。岩が硬くて崩れる心配がないうえに、足場が階段状で降りやすい。やった!助かった。最低鞍部に降り立った我々は、無事を祈って手を握り合った。

 それにしても、どうして登ってくるときにこのルートを見つけられなかったのか。まちがったルートに入り込んだときに、いちど最低鞍部にもどって正しいルートを探し出そうとしなかったのか。根拠のない自信と、一瞬の見落としが引き金になって、あやうく遭難騒ぎになるところだった。



 前穂山頂で、「生きててよかった」記念の乾杯をし、来るときに、これも「見落とした」直登ルート(吊り尾根の稜線上)を下る。地図通りに道は正確に尾根状をたどっている。ペンキの「○」印がないのを見ると、このルートは廃道化しつつあるようだ。

 とくに危険箇所もなく、最低鞍部で巻き道と出合う。ここで往路で巻き道に入ってしまった理由がわかった。大岩に白ペンキで「分岐点」と書かれた標識の前からでは、目の前の大岩が視界を遮り、直登ルートの道標が見えないのだ。もちろん地形図どおり、忠実に尾根をたどれば良かったのだが、歩きやすいルートをたどった結果、紀美子平へ出てしまった。

 吊り尾根を登りかえし、奥穂山頂へたどり着いたときには、足の筋肉がピクピクと痙攣しはじめ、空腹も頂点に達していた。あとは小屋まで下るだけ。でも、もう動きたくない。ボーッと空を見上げていると、頭のなかが空っぽになってくる。

 疲れも手伝って、どうせなら山頂で夕陽を見てから戻ろうということになり、寒風を避けて岩陰にうずくまっていると、とつぜん声をかけられた。
「コラぁ〜、何しとる」。
アレッ、八っちゃんだ。彼の話によると、我々の帰りが遅いので、小屋のみんなが心配しているという。八っちゃんは我々を捜しにきたのだった。晩飯の仕度はもうできているという。

 笠が岳の上空に雲がかかり、このようすでは太陽が雲に隠れてきれいな夕陽は見れないかも知れないという八っちゃんの意見に、こちらの腹が同意。「夕陽を見る」と最後まで言い張っていたクラちゃんも、“多数決の原理”にしぶしぶ従い、小屋へ戻ることにした。

 小屋へ戻り、冷めてカチカチになったハンバーグをおかずに、ごはんを三杯もお替わりした。とにかくメシが美味かった。

[註4]四点支持 両手・両足のうち三点で体を支えることを三点支持といい、岩登りの基本姿勢になっているが、四点で支持すると身動きは取れない。つまり進退極まって岩にへばりついている状態。
[註5]逆層 層理面が手前にむかって下がっている地層。登りにくい。
[註6]岳沢ヒュッテ 岳沢の源頭部、標高2180メートル付近にある山小屋。
 
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