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2010/09/06 Monday 22:38:58 JST
 
 
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Bureau of Ecotourism in Asahidake Range

 

山楽舎BEARは 「 大雪山の“いま”を楽しみ“あした”を考える 」 をテーマに、登山ツアー・エコツアーを行っているガイド組織です。

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第9回 道直し
   道直し——白出沢を下る

 穂高に六月の雪が降った翌日、降り積もった新雪に苦しめられながら入山した。入山した二日後、小屋の荷揚げ道でもある白出沢の道直し(登山道の整備)に、神さんと松っつぁん・私との三人で出かけることになった。三人ぶんの弁当を用意して、いまだに厚い雪渓が残る白出沢を下りはじめたのは八時半頃だった。

 登山靴を履いている神さんは、硬雪の斜面をグリセード[註1]で快適に下っていくが、ゴム長靴愛用者の二人は上手くいかない。ゴム長は底が柔らかく、足首も固定されないので、スキーの「後傾姿勢」のようなへっぴり腰で、むりやり斜面を滑っていく。

 雪渓の斜度がキツくなり、ようやく快適に滑り出したとたん、後ろから「アァーッ」という叫び声がした。振り向くと、すごい勢いで松っつぁんがすぐ脇を通り抜けていく。尻餅をついたために、スピードをコントロールできなくなったのだ。つまり滑落だ。とっさに神さんが、落ちてゆく松っつぁんに体当たりして速度を落とした。あわや大岩に激突か——という直前で、雪面にピッケルを突き刺して停止した。

 「アブナかったな。抱きついて止めようと思ったんだけど、このスピードじゃ、こっちも一緒に持っていかれると思ってな」と、神さん。いつもは飄々としている松っつぁんも、このときだけは殊勝な顔になっていた。

 すこし下ると「セバ谷」の出合[註2]が見えてくる。出合付近がゴルジュ[註3]状に狭まっているので狭(せば)谷と呼ばれているのだとか。谷の源頭部は、出合付近とは逆に、奥穂からジャンダルムにかけての稜線に、扇状に広がっている。つまり谷全体が、漏斗(ろうと)を半分に切ったような形をしている。そんな地形のせいで、稜線上で滑落した登山者の遺体は、ほとんどがこの出合付近に運ばれる。


遭難者の遺体が集まるセバ谷の出合
(1992年5月18日撮影)


 この後、雪解けが進む七月の終わり頃にここを通過したとき、毛糸のパンツやザックなどの遺留品が雪の上に散乱しているのを、実際に見たことがある。さらに気持ちが悪かったのは、雪渓上に底を上にした登山靴があるのを発見したときだ。靴を引っぱってみて“足がついていない”のを確認してホッとした。冬に遭難した登山者の遺体が発見されず、どこかに埋まっていると思われるときは、ここを通過するたびに嫌な気分を味わうことになる。

 雪渓が終わり、土が見えはじめたころ、右岸[註4]から「荷継ぎ沢」が出合う。涸沢岳西尾根に突き上げる沢で、大岩が積み重なった沢床を対岸に渡ると、そこに「白出荷継ぎ小屋」がある。建物はすでになく、高さ1.5メートルほどの石垣があるだけなので、小屋跡と言ったほうが正確だろう。標高2200メートル。ダケカンバの新緑が目に鮮やかだ。

 すぐ下流にある「白出大滝」を避けるために、登山道は沢筋をはなれ、右岸の針葉樹林帯に入る。樹林帯を抜けると右岸から「鉱石沢」が落ちてくる。登ってくる登山者にとっては最後の水場で、ここで水筒を満タンにしないと小屋まで水が飲めない。雪で折れないように、冬期間寝かせてあった道標を立て、倒れないように岩で足回りを固める。

 夏になるとイワカガミが見事に咲きそろう「イワカガミのテラス」まで下って休憩。ここから先は、「重太郎の岩切道(がんきりみち)」と呼ばれる崖っぷちの狭い道になる。切り立った岩壁を発破で切り崩してつけられた登山道は、岩肌が脆く、落石も多い。おおきな落石が登山道を塞いでいるところで、松っつぁんは石をどけて開通させる作業にかかり、神さんと私はさらに下る。

 左岸に水量の多い「天狗沢」が見えてくると、ふたたび雪渓になる。狭いV字谷のうえ、雪崩の巣でもあり、雪の多い年だと雪解けが秋になることもある。


天狗沢の出合。道は左手の岩肌に付けられている。
(1992年7月27日撮影)


 天狗沢出合からさらに30メートルほど下ったところが本日の主たる作業現場。岩切道にかけられていた懸路(かけじ)が落ちて通行不能になっている。ここに橋を架けて通れるようにするのが今日のわれわれの仕事だ。

 まずは資材運びから——。現場から200メートルほど雪渓を下ったところに「白出の徒渉点」がある。雪が解けて水流が現れると、飛び石伝いに沢を渡らなくてはならない場所だ。左岸の薮をすこし登ると、岩切道を作るときに資材置き場として使っていた小高い平坦地があり、鉄骨が何本か置いてある。

 鉄骨を二人で二本ずつ担いで雪渓を登りかえすと、すでに松っつぁんが現場に到着していた。道を塞いでいる岩が大きすぎて一人では動かせず、作業を切り上げて来たという。鉄骨を運びあげるのは「エラい」[註5]仕事だったので、まずは一本立てて[註6]から作業にかかる。作業自体は、岩の出っ張りに突っかえ棒のように橋脚を立てて、鉄骨の橋桁を支え、番線(太い針金)で固定する——という簡単なもので、一時間ほどで終了する。

 昼食後、ふたたび徒渉点までもどる。雪渓の末端から河原に降りると、岩壁に打ち込まれた支点から、二本の太いワイヤーが下流にむかって延びており、先端には丸木で組まれた橋がくくり付けられている。深いV字谷という地形上、冬は雪崩の巣になるので、徒渉点にかかっている橋は雪に押し流されやすい。流された橋を元の位置にもどす。後日この場所に鉄製の立派な吊り橋がかけられることになる。

 ここで下山する松っつぁんと別れて、われわれ二人は帰途に就く。来るときは雪渓の上を降りてきたのだが、道が復旧したので帰りは岩切道を登った。切り立った岩壁につけられた幅1メートルほどの桟道(さんどう)は、山側も谷川も切り立った崖になっている。発破をかけるときに爆薬の量を間違えたのか、岩の質がそこだけ違っていたのかはわからないが、道になるはずだったところまで破壊されて崩落し、三カ所に懸路がついている。

 そのなかのひとつで、むかし“白兵衛”という従業員が作った「白兵衛橋」は、岩切道のなかで最大の難所になっている。ひと抱えほどの丸太に滑り止めの鉈目[註7]を刻み、崩れ落ちた場所に渡してあるだけの丸木橋だ。足下が悪いのに加え、岩肌がオーバーハングしてせり出しているので、大きな荷を背負っていると、岩角に荷を引っ掛けてバランスを崩し、転落する可能性がある。足下が凍っている春先や秋口にここを下るときは、おもわずへっぴり腰になる。


白出沢コース中最大の難所「白兵衛橋」
(1985年11月4日撮影)


 さらに30メートルほど登ると、もうひとつの難所がある。登山道の断面が「コ」の字状になった岩壁だ。図体のでかい登山者は、中腰になってくぐり抜けなくてはならないし、ザックの背が高いと、荷が天井につかえてしまい、ほんとに歩きにくい。

 荷継ぎ小屋からは高度差800メートルの雪渓を延々と登り、足が重くなってくる。グリセードで一気に下ったこの雪渓は、雪が解けると、岩塊斜面に付けられたつづら折の登山道をひたすら登り続ける「心臓破り」の登りに変わる。小屋はすぐそこに見えているのに、いつまでたっても着かず、ウンザリさせられる場所だ。夕方四時半頃、足を引きずるようにして小屋に到着した。

[註1]グリセード ピッケルでバランスをとりながら登山靴で雪渓を滑り降りる技術。
[註2]出合(であい) 沢と沢との合流点。「出合う」と動詞的に使うこともある。
[註3]ゴルジュ もともとはフランス語で「喉」という意味。沢の中で両岸が切り立っている箇所。大規模なものを「廊下」という。
[註4]右岸 沢の上流から見て右側を右岸、左側を左岸という。
[註5]エラい 大変な、しんどい。
[註6]一本立てて 「強力」や「ボッカ」などと呼ばれ、山小屋への荷揚げを生業にしていた人たちは、重い荷をいちいち降ろすのが面倒なので、背負子の下につっかえ棒を立てて休憩したことから、「休憩する」ことを「一本立てる」という。
[註7]鉈目 なため。鉈で木に刻んだ溝。森の中での目印や、丸木橋の滑り止めとして使われる。
 
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