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2010/09/10 Friday 00:33:12 JST
 
 
山楽舎BEAR

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Bureau of Ecotourism in Asahidake Range

 

山楽舎BEARは 「 大雪山の“いま”を楽しみ“あした”を考える 」 をテーマに、登山ツアー・エコツアーを行っているガイド組織です。

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第10回 “自然の牢獄”
 六月下旬から七月下旬にかけての一ヵ月間、つまり梅雨の中期から末期にかけての穂高では、雨の降らない日が十日しかなかった。しかも完全に「晴れ」といえる日はわずか六日間だけ。五日に一日しか晴れなかったことになる。


梅雨の晴れ間の夕映え
中央奥が笠が岳
(1993年6月撮影)


 下界で「梅雨空」といえば、前半のどんよりとした雲天、中期のシトシト雨、末期の豪雨……と、降りかたはいろいろだ。しかし三千メートルの稜線ではちょっとようすが違ってくる。濃霧につつまれて視界はほとんどゼロ、ときおり思い出したように雨粒がトタン屋根を叩く。こんな日が数日続くかと思うと、一転して嵐になる。瞬間最大風速40メートルの強風が建物を揺らすので、耳元で巨大なクマンバチが飛んでいるような振動音や、至近距離で雷が鳴って窓ガラスが震え、夜中に急に目を覚ます……といった具合だ。

 ひどいときは一週間以上も外へ出られず、まるで「自然の牢獄」だ。とうぜんお客さんがいるはずもなく、連日宿泊者ゼロが続く。もし小屋の中の仕事がなければ、あまりの退屈さに気がおかしくなるかもしれないが、こういう時にしかできない仕事もある。


 一.クソ流し

 六月二十日 荷揚げが予定されているというのに朝から霧雨が降っている。このぶんではきょうもヘリは飛ばないだろう。「きょうも仕事探しが仕事になりそうだな」と思っているところへ、ヘリポートと無線で連絡を取っていた神さんがやって来て、不適な笑みを漏らしながらこう言った。
「タイヘンな事態になった。きょうはクソ流しやぞ」

 トイレを水洗に改装するらしいという話は聞いていた。その前にまず、便槽(クソ溜め)内の汚物をすべて取り除いておかなくてはならない、というわけだ。「クソ流し」と聞けば誰もが嫌だなと思うだろう。ところが神さんが言うように、何が、それほど、タイヘンなのかは実際に体験してみるまでは分からない。海のものとも山のものともつかない作業をするために、新入りの八ちゃん・オトメさん・私と“親方”の加川さんの四人は、雨合羽を着て外へ出る。霧雨のなかを小屋の南側に回り、出前用の岡持の蓋に似たクソ溜めの蓋をはぐって見たとき、何が「タイヘンな事態」なのか、初めて理解した。

 コンクリート製の四角い便槽のなかをのぞくと、便器の真下と思われるあたりに褐色の半固形物が漫画チックにとぐろを巻き、紙が散乱している。なんとも形容しがたい異臭が鼻を突く。視覚的刺激と嗅覚的刺激の相乗効果で具合が悪くなりそうだ。作業の内容は、とぐろを巻いた半固形物に水をかけてヘドロ状になるまでこね回し、便槽から突き出ている塩ビ管を通して白出沢へ流す--というものだ。

 まず、排出口を塞き止めている蓋の隙き間を半固形物で固め、液体が漏れ出ないように“密閉”する。次に、クソかき専用の大きな熊手で水と半固形物をよくかき混ぜる。魚の腐乱死体をさらに醗酵させたような強烈な臭気がただよう。そして最後に、撹拌されてドロドロになった物体は、蓋を空けた瞬間に、勢いよく流れ出る……ハズだった。ところがクソ溜めの水位はちっとも下がらない。不思議に思って、白出沢に突き出た塩ビ管の先っぽをのぞいて見る。期待されている黄褐色の液体はちっとも流れ出てこない。
「オカシイな、なんで流れないんだ?」と、一瞬考え込んでいた加川さんの顔に笑みが浮かんだ。塩ビ管の先端をガムテープで塞いであったのを思い出したのだ。
「誰か、ガムテープをはがしに行かなきゃなんねーなー…」
「…………」。一瞬、凍りつく空気。率先して「行きます」という者はいない。みんなが牽制し合って黙り込んでいる。重苦しい沈黙がいつまで続くのかと思ったとき、パカーンという乾いた破裂音とともに、塩ビ管の先端からしぶきがあがった。黄色いフィルターを通して、岩にぶつかってくだけ散る波しぶきを見ているような、そんな感じだった。その直後に、白出沢を吹き上げる上昇気流に乗って、目が痛くなるような臭気が鼻を突いた。

 それにしても、年間一万人以上にもおよぶ登山者の排泄物を、こんなふうに垂れ流し続けたら、やがては白出沢の自浄能力を超えてしまうのではないか、と思った。いやそれよりも、このあたりの山小屋の屎尿が集中して集まる蒲田川(神通川上流)や梓川(信濃川上流)の本流は、白出沢なんかよりもっと酷いのかもしれない。水質調査をしたわけではないので、どのていど汚染されているかはわからないが、地元のヤマ屋さんが「白出沢本流の水は飲まない」のは賢明だと思う。これを書いている2007年現在、各山小屋のトイレ事情はかなり改善されたらしい。

 ひととおり汚物が流れ出たあとは、便槽の淵にこびりついている固形物を水で洗い流し、道具をよく洗って早々に引き上げた。


 二.“水洗トイレ”と壁張り

 「クソ流し」を終えた午後、急速に天気が回復した。安曇野のかなたに諏訪湖が遠望できるほど視界が開けてきたのだ。三時頃ヘリが飛ぶとの無線が入った。屋根の上で午後のお茶を飲みながら白出沢の方角を眺めていると、小屋をめがけてまっすぐ飛んでくるヘリが見えた。第一便でヒデオさんとヘイ子さん[註 登場人物については第二回を参照]を運んだヘリは、二便・三便までで終わり、木材・トタン・水槽などを降ろして帰っていった。翌日そして翌々日と、濃霧や強風でヘリは飛ばず、荷揚げが再開されたのは三日後だった。


晴れ間を見て布団を干す
昼寝をしているのは「干された」従業員?
(1993年6月撮影)


 六月二三日 朝八時頃に最初のヘリが飛んでから昼までに計四便。Tシャツなどの土産物・木材や工事用資材・大工さん三名、最後に松つぁんとクラちゃんが“荷揚げ”された。久々にスタッフ全員がそろい、大工さんも加わって、小屋の中はとたんに賑やかになった。

 ふつうの家で増改築をするばあい、よほど日曜大工の腕に自信がない限り、プロの大工さんや設備屋さんがすべての仕事をやり遂げると思う。ところが穂高小屋のばあいはちょっと違っていた。「ヤマ」と聞いただけで大工さんが尻込みしてしまうのか、はたまた予算不足なのか、よほど従業員の“腕”を信用しているのかは分からないが、大工さんの頭数と日程の都合で、重要箇所以外の工事をわれわれが任されることになった。 シロート仕事だけに完璧は期待できないにせよ、かなりテキトーな仕事が多かったのも事実だ。むろん初めから手を抜いたわけではけっしてなく、結果的にテキトーな仕事になってしまっただけである。

 六月二四日 “自由落下式”トイレを水洗トイレに改装するといっても、基本的に垂れ流しであることに変わりはなく、ただ単に固形物を水で流すだけで、当時は浄化槽があったわけではない。大きな違いは、洋式の便座が加わったことと、内装が小ぎれいになったことくらいか。それにしても、ただでさえ水が不足しがちな稜線上の山小屋に水洗トイレをつくるという発想には違和感があったのも確かだ。

 ともかく、われわれ新入りに回ってきたのは、壁板張りなどのかんたんな仕事だった。そしてトイレの壁張りが終わると、今度はどういうわけか、ヒデオさんの部屋の壁張りという仕事が加わった。となりの部屋の明かりが板の隙き間から漏れて眠れない、というのが、作業を始める“動機”らしかった。つまり、いちばん優先順位の低い作業がわれわれに回ってきたわけだ。

 柱と間柱[註1]とのあいだに胴縁(どうぶち)[註2]を渡し、これを下地にして壁板を張っていく。作業は順調に進んでいるかに見えたが、並べていくに従って壁板が斜めになってゆくのに気がついた。原因は柱が斜めに立っていることだった。斜めの柱に合わせて板を並べていけば、最後は三角形や台形の板で隙き間を埋めなくてはならなくなる。柱が垂直に立っていないのは、長年月にわたる豪雪で、建物が一方向に押され、柱が少しずつ傾いていってしまうことだろう。

 欠陥はそれだけではなかった。壁板を固定するために打っていた釘が、玄のうを一回振るだけで板を突き抜けてしまうのだ。つまり釘がぜんぜん利いていない。床と水平に配置したために、下地が壁板に対して斜めになってしまったわけだ。

 それだけならまだいい。作業終了間際になって板の枚数が足りないことに気がついた。仕方がないので、倉庫からテキトーな長さと幅の板を持ってきて、いままで使っていた板と同じサイズに切って、急場をしのいだ。

 なぜこんなやっつけ仕事になってしまったのか?もとはといえば、壁張りなどという作業は当初予定されていなかった。つまり、暇つぶしの“失業対策”として思いついた仕事だった。思いつきで始めた作業だから、初めから材料がそろっているわけもなく、かくして終始一貫、テキトーな作業になってしまったわけだ。


 三.発電室

 壁板張りが大工仕事だったのに対して、発電室の増築は、おもに土方と板金屋の領域だった。大工さんが躯体を建て、我々が外壁と屋根のトタンを葺いて外装が整ったあとは、土間のコンクリートを打つ。作業の手順は、a.直径15~20センチほどの石(栗石 ぐりいし)を地面に敷き詰める。b.栗石どうしの間を小砂利(目つぶし)で埋める。c.その上にコンクリートを打つ--というものだ。

 七月三日 作業開始。栗石になりそうな石を奥穂側の崖下へ行ってさがし、運搬用の一斗缶がいっぱいになるまで詰め込む。これだけで30キロ近い重さになる。足場の悪いガラ場[註3]を、重い一斗缶を持って発電室まではこぶのはかなりの重労働だ。空気の薄い三千メートルの稜線では、一回運ぶたびに「フーッ」と息をついてしまう。作業をしているうちに白出沢からの吹き上げが急に強くなり、視界がなくなる。三分も経たないうちに暴風雨に変わり、栗石はこびが終わるころには全身ずぶ濡れになっていた。

 七月五日 朝から風雨強し。合羽を着て外へ出る。秒速20メートルはあろうかという強風が下から体を突き上げ、立っているのがやっとという状況のなか、目つぶしにする小石や砂利をいっぱいに詰め込んだ一斗缶を運ぶ。スプリンクラーで撒いたような雨と強風。目を開けていられないほどだ。しかも足元はガラ場ときている。風下に顔を向け、足元に気を配りながら、“カニ歩”きで一斗缶を運ぶ。

 こうして目つぶしがバラまかれた後は、砂運び。先日荷揚げされた土嚢袋入りの砂は、連日の雨で30キロ近い重さになっている。これを60メートルほどはなれた冬期小屋から運ぶ。とうぜん一回で運び終わるはずもなく、延々と続く運搬作業。しまいには、肩で息をするようになる。

 ところで穂高小屋ではヘリで砂を荷揚げしている。山自体が岩でできている穂高の稜線には、もともと砂が存在しないからだ。結果として、砂そのものよりも空輸代のほうが高くつくので、砂は貴重品となる。

 砂運びが終わるとようやく「コンクリ打ち」だ。コンクリと言っても、砂とセメントと水だけなので、じつはモルタルなのだが……。つまり強度は、ない。砂とセメントに水を加えてスコップでこね回し、それを栗石の上にまいてコテでならして平らにしてゆくのだが、途中で水や砂が足りなくなるので、その都度補給しなくてはならない。重いものを運んだり、こね回す、文字通りの重労働で、作業が終わるころにはいいかげん腰が痛くなる。


梅雨の晴れ間の夕映え
中央奥が笠が岳
(1992年7月1日撮影)


 われわれが悪天候のなか重労働に励んでいる間、“技術系”のスタッフは、ゴミ焼却炉の燃料を利用して従業員用のフロの湯を沸かすボイラーを完成させていた。しくみはこうだ。a.ゴミ焼却炉の上部に取り付けられたタンクのなかの水が、焼却炉の熱で暖められて水蒸気になる。b.配管を通った水蒸気が別の水槽内のラジエターに入り、水槽内の水を温めたあと、熱を奪われてふたたび水にもどって排出される。c.温められた水槽の湯が浴槽に送られる。

 この装置の完成によって、ゴミを燃やした熱で風呂を沸かせるようになった。早い話が「コジェネレーション」[註4]の“はしり”である。二十年以上前の山小屋ですでにこのような装置が実用化していたことは、いまから思うとかなり画期的かつ先進的であった。

[註1]間柱 まばしら。柱と柱の間に通常45センチ間隔で入っている垂直材で、壁板の下地になる。
[註2]胴縁 18ミリ×45ミリの角材で、壁の下地などに使われる。
[註3]ガラ場 岩や礫などが堆積し、歩くとガラガラと音がするような不安定な場所。
[註4]コジェネレーション(co-generation) 内燃機関、外燃機関などの排熱を利用して動力・温熱・冷熱を取り出し、総合エネルギー効率を高めるエネルギー供給システムのひとつ。
 
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