| 第11回 飲み水を確保する |
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三千メートルの稜線上で、夏山シーズンを通じて安定的に水を確保するのは山小屋にとって大きな課題だ。 小屋がすっぽりと雪におおわれている五月の上旬までは、屋根に雪をバラまいて太陽熱で融かして水を作っても、じゅうぶん需要に応えられた。ところが五月の下旬になるとすこし様子が変わる。“原料”の残雪が少なくなり、くわえて好天続きで雨が降らないからだ。こうなると飲み水の確保は切実な問題になってくる。急場しのぎの策として、奥穂高側の崖下にこの時期だけできる滝の水を引っぱってきて水槽に溜めることもあるが、小屋じゅうの水槽をすべて満たすだけの水量は確保できない。やはり雨が降らなくてはどうにもならないのだ。ひどいときは、フロに入るのが週に一度、洗濯は月に一度、ということもある。日々の肉体労働でかなりの汗をかいている時期に、これはキツい。 梅雨に入ればいちおう水不足は解消されるが、梅雨明けと同時にドッと押し寄せる登山客に、どうやって水を供給するかという難題は残る。梅雨の間の降雨で満たされている水槽も、一日五百人もの利用者が水場に殺到すればすぐに底をつく。稜線上の小屋なので水はありません——と言ってしまえばそれまでだし、実際そうしている小屋もある。ところが穂高小屋には、これぞ「切り札」といえる水源がじつはあるのだ。 『穂高小屋物語』によると、1959年の6月、先代の小屋主・今田重太郎氏は、「山荘の北約二百メートルほどのところにある涸沢岳の雪渓に目をつけ」「雪のトンネルを掘っていた」。「約15メートル掘り進んだとき」「大きな岩にぶつかって、その下に雪どけ水があふれ返っていた」。重太郎氏は「これに『天命水』と名付けた」。さらに「ピッケルを水準器がわりにして測ったりした結果」小屋が天命水より「三メートルほど低い」ことを知り、水源として利用できることが判明した。「さっそく直径5センチのゴムパイプを送水管として、山荘から涸沢岳の絶壁をはわせ、水源に結んだ」。こうして「蛇口からほとばしる清冽な水」が登山者の喉を潤すことになった。 ことしも梅雨明けが間近になった七月上旬、例年どおり「水引き作戦」が開始された。 一.雪洞掘り 七月八日 バランスを崩して足を滑らせた瞬間、ロープが音もなく切れた。アッという間もなく、二メートルほど下の雪渓に投げ出され、ロープが切れた反動で、松っつぁんも岩壁から飛ばされそうになる。一昨日かけたばかりのロープだったが、すこしばかり老朽化しすぎていたようだ。それにしても、ここに雪渓が残っていなかったら、断崖絶壁を転げ落ち、おそらく・・・。
バランスを崩した原因は、荷物の持ち過ぎだった。チェーンソーの燃料がはいったポリタンクを首からぶら下げ、右手にはスコップを二本持っていた。両足と左手だけで体を支えるのだから、岩場での鉄則「三点支持」など望むべくもない。しかも雨の日にはつきものの眼鏡のくもりで視界も利かない。こんな格好で岩場をへつるのだから落ちても仕方ないかもしれないが、神さん曰く「聞きしに勝る恐ろしい場所」というこの絶壁を横切らなければ、水源のある水取沢(みずとりさわ)にはたどり着けない。送水管の中継点になっている、ザイテングラート[註1]に建つ櫓から、小雪渓を横切ってたどり着いたこの岩壁は、途中オーバーハングもあり、水取沢までまったく気が抜けない。 へつりがようやく終わり、水取沢へ下る手前の小岩峰から、こんどはスコップを落としてしまった。スコップは雪渓を転がり、十メートルほど下のシュルンド[註2]にはまって停止した。ここで滑ったら今度こそお陀仏だぞ、と思いつつ、斜度が30度はありそうな雪渓をオソルオソル下って、スコップを拾い上る。フーッと、思わず深いため息をつく。
急な雪渓をさらに30メートルほど登り返して、先に現場に着いていた二人に追いつく。二人とは、八ちゃんと松っつぁんだ。私を加えた三人が雪渓掘りのメンバーである。傍らの岩肌に黄ペンキで「起点14メートル」と書かれている。ここから雪渓を14メートル掘り進んだところに水源の「天命水」があるという意味だ。 チェーンソーで切り出した雪をスノーダンプで捨てるという作業内容は除雪と同じだが、注意しなくてはならないのは、水取沢はザイテンバットレス[註3]の下で登山道を横切っているので、バットレスの下を通過する登山者を、切り出した雪ブロックが直撃する可能性がある点だ。小屋の除雪のときに雪を捨てている白出沢は、除雪の期間中ほとんど人が通らないのでまず問題はないが、奥穂高へのメインルートであるザイテングラートは、人通りが多い。そんなわけで、ザイテンバットレスの下に見張りを立てることとし、クラちゃんとオトメさんが交替でこの任務にあたった。じつはこのとき、横尾と涸沢の間にある本谷橋が増水で流され、登山者は涸沢にさえ入れない状況だったのだが・・・。二人は、来るはずもない「登山者の安全」のために、冷たい雨に打たれながら孤独の時間を過ごしていたことになる。 昼飯を食べに小屋へ戻ったとき見たニュースでは、九州・四国から東海地方まで梅雨が明けたと報じていた。ひょっとして今日あたり梅雨が明けるのかなぁーと期待して空を見上げるが、深い霧。ジトッととした空気が雨具を通して伝わってくる。一瞬、空が明るくなるが、またすぐに厚いガスにおおわれてしまう。霧状だった水滴が、突然、大粒の雨になってたたきつける。烈風に煽られて横から下から容赦なく雨具をたたく。 昼前に掘り進んだ距離はわずか五メートル。このぶんでは、水源にたどりつくのは明日だな——とだれもが思っていた。夕方四時頃、雪洞脇の岩肌に黄ペンキで書かれた「3」という数字が現れた。 「あと3メートルかなー?」 「いや、“8”だろう」 「まあ、ともかく、掘ってみよう」——。 急に雪が柔らかくなってきた。雪洞の天井が背丈よりも低くなり、かがんで掘り続けていると腰が痛くなってきた。スノーダンプで排雪をしていた八ちゃんと替わってもらい、こんどはこちらが排雪作業をしていると、しばらくして八ちゃんが声をかけた。 「聞こえる?」 「エッ、何が?」 雪洞の奥へ入り込んで耳を澄ませる。水の流れる音がする。かなりの水量だ。これが「天命水」か。 ヘッドランプで照らしてみると、雪洞のどん詰まりの岩壁が小さなダムになっていて、雪どけ水が滝のように流れ出ている。手を入れてみる。肌を刺すような冷たい水。すくって飲む。美味い!
二.送水管の架設 七月九日 太陽がジリジリと照りつけ、暖められた空気が陽炎となってゆらゆらと立ちのぼる。きのうとは打って変わって快晴となるが、梅雨明けはまだらしい。 本棟の北側に仮設された夏だけの水場に水源からホースを引くのが本日の作業だ。最初に、一メートル間隔で送水管のホースに細引を結んでおく。次にホースを吊るすワイヤーを張りにかかる。冬期小屋の北側・ザイテングラート上部にある櫓を中継点にして、水源から水場までワイヤーを張るのだ。水源までの数カ所に人を配置してリレー式にワイヤーを延ばしていく。 岩峰の上にすわってワイヤーを送ったりたぐったりしていると、岩壁のあちこちにイワカガミやハクサンイチゲが咲いているのが分かる。稜線上にはキバナシャクナゲやイワツメクサ、ミヤマダイコンソウかミヤマキンバイかと思われる黄色い花も遠目に見える。そうか!もう、夏なんだ。きのうまで羽毛服を着ていたのに。ここしばらく厚い雲におおわれて周辺の景色が見えなかったが、気がつくとあたりはすっかり夏になっていたのだった。 送水管のなかを水が流れてもたわまないようにワイヤーをピンと張る。途中でたわむと、水が流れなくなる。水源と水場の落差はわずか三メートルしかない。ワイヤーを張り終わると、あらかじめホースに結んでおいた細引にクリップをかけ、ワイヤーに吊るす。これで準備はOKだ。登山道から見上げると、二本の送電線が櫓を経て小屋へ延びているように見える。松つぁんがホースの先端を水源に突っ込んだ数秒後、水場の蛇口から冷たい水がほとばしった。 「高い山でいかに水が大切なものか、この水を引くためにシーズン前後、絶壁で危険きわまる送水管の架設作業をする人のいることをよく認識してもらいたかったので」「水飲み場に『使用されたら一回十円』と立て札を立て、箱を置いておいた」。「しかし、その夏シーズンが終わって箱を開けてみると、わずか数十円しかはいってなかった。そしてそのあげく、かん詰めのコーラ、ジュース類の売り上げは何分の一かに減ってしまった。もちろん茶屋ではないのから、ジュース類の販売を当てにしてはいない。だけれども、山での水のありがたさを知ったなら、水を買うのではなく、気持ちを置いていってもいいのではないだろうか」と、重太郎氏は『穂高小屋物語』のなかで当時を嘆いている。まったくそのとおりだと思う。現在(1985年当時)では「一リットル百円」に水は値上げされているが、利用者の大部分は「気持ちを置いていって」いるようだ。 [註1]ザイテングラート 広い斜面を下る支稜・岩尾根のこと。穂高では固有名詞として使われている。 [註2]シュルンド 雪渓が融けて岩との間にできる隙き間。 [註3]ザイテンバットレス 涸沢から白出乗越への登路「ザイテングラート」下部にある巨大な一枚岩。 |
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