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2010/09/06 Monday 22:31:26 JST
 
 
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Bureau of Ecotourism in Asahidake Range

 

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第12回 豪雨の中の橋架け——重太郎橋
 富山湾へそそぐ神通川の最上流部・蒲田川(がまたがわ)の右俣林道終点から、穂高小屋の建つ白出乗越へのぼる途中に「白出の徒渉点」がある。白出沢と天狗沢が出合い、しかも両岸が切り立ったゴルジュ帯の出口なので、増水しやすく、そのたびに、架けた橋が流される難所だった。増水した流れに飲み込まれて若い命を失った登山者もいたという。六月に道直しに行ったときも、丸木橋が流されているのを見た。鉄砲水が出やすいだけでなく、雪崩の巣でもあり、水流に耐える立派な橋を架けても雪崩で壊されてしまう。「大雨にも雪崩にも耐え得る橋をなんとか架けられないものか」と長年の懸案になっていたらしい。検討の結果、小屋閉めのときに撤収できる鉄製の吊り橋、という案に落ちつき、夏休みがはじまって小屋の仕事がいそしくなる前に架橋工事をすることになった。


七月十二日

 梅雨末期の集中豪雨による被害がことしは例年以上にひどいらしく、信州側の上高地から涸沢へ入るメインルートは、横尾本谷にかかる本谷橋の流失をはじめ、いたるところで寸断されていた。そんななかで、前日下山した神さんと八ちゃんにつづいて、松っつぁんと私にも架橋工事のための下山指令が出た。

 岩切道を下りていくと、昼ちかくになって、徒渉点で作業中の神さんに会った。「(登山口の)白出小屋まで降りて、飯を食ってから、材料をボッカして登ってきて」という。白出小屋まで下り、昼飯を食べ終わったころ、きのう下山した八ちゃんと飛騨山岳会会員で山岳ガイドのウエキさんがワゴン車で到着した。

 午後一番でボッカ開始。車で運んできた橋架け用の資材を、こんどは徒渉点までかつぎ上げなくてはならない。「吊り橋一式」に加えて、38kgの発電機とガソリン・電動ドリルなどの工具もある。長さ九尺(約2.7m)の分厚い歩み板が六枚。歩み板とおなじ長さのH鋼(鉄骨)六本は橋桁用だ。橋を吊るすワイヤーが、太いのと細いのを合わせて二巻き。根太(ねだ)にする短い鉄骨十数本。ボルトとナット、スパナやレンチなどの工具類……。これを四人でかつぎ上げるのだからエラい(大変な・しんどい)仕事だ。白出小屋から徒渉点までは、距離約1.8キロ、高度差約360メートル。

 細い鉄骨数本と太いワイヤーの束を背負子にくくりつけ、膝のうえまで持ちあげようとするが、ダメだった。こんどは、背負子を地面に立てて腕をとおし、前屈みにしゃがんだ姿勢から気合いをこめて、一気に膝を伸ばす。重い!50kgをラクに超えている。

 アオモリトドマツの樹林のなかをゆく心地よい小径の傍らには何種類もの植物が花をつけているが、見ている余裕などまったくない。新人養成で、はじめて重いザックを背負わされたときのように、数歩あるいただけで息があがり、汗がしたたり落ちる。五分に一度くらい立ち止まって呼吸を整えなければとても歩けない。


白出沢をボッカする
(1985年7月15日撮影)


 行程の四分の一も歩かないうちに太腿が痙攣しはじめた。しゃがみ込んで背負子を地面に突き立てて息を整える。いちど背負子を外すとまた背負うのに多大のエネルギーを要するので、そのままの姿勢を維持しようと頑張るのだが、荷物の重さに腹筋が保たず、バッタリと仰向けに倒れる。死んだカエルよろしく腹をだしたまま、荒い呼吸が静まるのをまつ。すぐそばをウエキさんが笑いながら歩いていく。身長180センチ、体重100キロはありそうな巨体が、橋桁用の九尺の鉄骨を、二本も(!)かついで歩いている。「怪物」とあだ名される所以(ゆえん)だ。

 一時半に白出小屋を出て三時半過ぎにやっと現場に着いた。ふつうのボッカなら一時間かからない道のりを、2倍以上の時間をかけて……。しかしこの程度の仕事で根を上げていたら、昔の人たちから笑われてしまうだろう。かつてボッカを生業(なりわい)にしていた人たちの働きぶりは凄まじいものだった。

 1957年に穂高小屋の増築がおこなわれたときには、材木などの資材は、ヘリコプターではなくボッカさんたちがかつぎ上げた。そのときの苦労話が今田重太郎著『穂高に生きる』に紹介されている。
「長尺物は横に背負うわけにはいかないので、背負子につけて背負い上げる。十三尺(約4メートル)物などは平衡を失うと倒れる。うつむけばノメる、腰を伸ばせば後につかえると全く想像を絶する困難さであった。」
しかも「滝上のガラ場と雪渓の直登で、呼べば答える距離なのに登り二時間かかる」ようなところをかつぎ上げるのだ。なかには一本が150kgもある材木もあったというからすごい。


登山道脇に咲くランの仲間
(1985年7月15日撮影)


 白出小屋と現場とを何往復もして、資材をすべて運んでから架橋工事にかかるのは時間のムダなので、すでに運び終わったワイヤーを張ることにする。最初は、橋を吊るすメインロープを固定するアンカーづくりからだ。橋の全重量を支えるだけでなく、多少の風や雪などの負荷がかかってもけして抜けてはならない。そのために、一カ所だけに力が集中しないように、アンカー一カ所につき三つずつの支点をつくり、一カ所にかかる加重を分散させる。電動ドリルで岩盤に穴をあけ、ボルトをねじ込む。アングルと呼ばれる鉄の板をとおし、穴にシャックルという環をかけ、太いワイヤーを通す。両岸二カ所ずつ計四カ所のアンカーに太いワイヤーを固定し、ワイヤー張りが終わった。


七月十三日

 蒲田の従業員宿舎で眼を覚ます。朝から土砂降りだ。きょうは休みだろうという期待はみごとに裏切られ、買ったばかりの雨具を着込んで作業開始。ウエキさんに加えて、きょうは飛騨山岳会のTさんが応援にきてくれた。

 まずは歩み板運びから。神さんと私、八ちゃんとTさん、の二人一組で長い板を運び、「怪物」ウエキさんと、いつもやたらと威勢のいい松っつぁんとで短い板を一枚ずつはこぶ。途中の枝沢が、昨夜からの雨でかなり増水している。

 分厚い歩み板を運び終わったあとは、H鋼(鉄骨)を組んで橋桁をつくる。長い鉄骨二本の間に短い鉄骨を取り付け、ハシゴ状に組んで橋桁にする。橋桁が組み終わったところで白出小屋にもどって昼めしにした。


食料ボッカ隊の面々
(1991年7月29日撮影)


 ウエキさんのワゴン車で弁当を食べているあいだにも雨脚は強まり、バケツを水で撒いたような土砂降りになってきた。「さあて、やるまいか(やってしまおうか)!」ドアを開けて外へ出る神さん。作業中止を密かに期待していた我々は期待を裏ぎられ、雨合羽を着て渋々外へ出る。——じつはこのとき作業を中止して帰っていたら後で取り返しのつかないことになっていた。

 午前中と同じ組み合わせで歩み板はこびを開始。登山道上を勢いよく水が流れ、沢のようになっている。神さんと私の組がほかの組を引き離し、さっきの枝沢にさしかかったとき、午前中すでに増水していた流れは、土砂を含んだ濁流に変わり、滝のようだ。ふだんは枯れ沢なのに……。板を持ったままだと、流れに足をとられて危ないので、沢の手前に板を置き、徒渉点のようすを見にいくことにした。

 近づくにつれて、鬼太鼓の乱れ打ちのような腹の底にひびく重低音が、凄まじい音量になって聞こえてくる。ゴロゴロっと、巨岩どうしがぶつかり合う鈍い音。ふだんは3メートルほどの水流が、20メートル近い川幅いっぱいになって暴れている。河原に降りてみると、さっきまで100メートルほど上流にあった大きなスノーブリッジが、なくなっている。 足元の発電機を濁流が舐めはじめる。苦労してボッカした資材がこのままでは流されてしまう。グズグズしてはいられない。鉄骨で組んだ橋桁三組、分厚い歩み板を四枚、ボルトとナット類、発電機……。神さんと二人でこれらの資材をすべて左岸の高台まで運び上げた。火事場の馬鹿力、である。

 作業が終わったところへ後続部隊が到着するが、これ以上の作業はできないので撤退する。新穂高ロープウェー下の林道ゲートが、雨量規制で閉鎖され、乗ってきたワゴン車を置いて歩かなくてはならないという“おまけ”つきだった。


七月十四日

 豪雨は治まったが「降水確率30%」の予報。きのう来てくれたTさんとその婚約者さん、橋桁をつくった鉄工所のオジさん、の二人がさらに加わった。

 白出小屋に残っていた最後の資材を現場までかつぎ上げ、架橋工事開始。驚いたことに、メインワイヤーを固定するためのアンカーが、濁流に洗われて破損していた。けっこう高い位置につくったはずなのだが、このていどの高さでは、増水時にやられてしまうことが判明した。

 “学習”の成果をもとに、一段たかい位置に設置しなおす。つづいてメインワイヤーから細いワイヤーを垂らし、鉄骨で組んだ橋桁を吊るす。最後に分厚い歩み板を橋桁の上に渡して、吊り橋は完成した。架橋工事とはいっても、資材のボッカがおもな仕事で、組み立てじたいは意外とあっけなかった。


完成した重太郎橋
(1985年7月15日撮影)


 完成した吊り橋は、神さんによって「重太郎橋」と命名された。お世辞にも、あたりの景観に溶け込んでいるとはいえないが、橋の上を何度も行ったり来たりして感触を確かめている神さんの姿は、なんだかとても嬉しそうだ。

 
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