| 第13回 抜け穴だらけの自然保護行政 |
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穂高岳山荘の当時の支配人・神憲明氏は映画カメラマンでもある。穂高の四季をテーマにした16ミリ映画の第一作『穂高岳讃歌』は文部省特選にえらばれ、高山植物をテーマにした二作目『穂高は生きている』も秀作として人気がある。そしていま追っているテーマは「白出の森」だという。 「白出の森」つまり白出小屋周辺の森は、小屋から新穂高温泉へ下る林道周辺のブナやナラなどの広葉樹林と、小屋より上部のカラマツやアオモリトドマツなどの針葉樹林とから成る豊かな森である。そんななかで、自然の恵みに感謝し、分をわきまえた振舞いをする愛好家が多い一方、欲望のおもむくままに「利用」しようとする輩(やから)もいる。
以前、神さんと松っつぁん・私の三人で、道なおし(登山道整備)にでかけたときのことだ。岩切り道から鉱石沢へ下るあたりでアヤシい人影を見た。登るのでも下るのでもなく、なんとなくようすを伺うようにあたりを徘徊している。とつぜん神さんが大声でさけんだ。 「ヤッホー、オーイ」。するとその人影は、そそくさと登山道を下っていった。 そのときは事情が飲み込めなかったのだが、後から神さんに聞いたところでは「あれは密猟者やぞ」という。蝶を捕りにきたのだ。以前はこのあたりならどこにでもいたある高山蝶が「最近めっきり姿を見なくなった」原因は蝶泥棒らしい。かつては神さんも、捕虫網を持っている人を見るといちいち目くじらを立てていたが、数があまりにも多く、焼け石に水なので、最近はあまりうるさく言わなくなってしまった、と反省する。 そんな話を聞いた直後、架橋工事を終えたばかりの重太郎橋の工事写真を撮っているときに、捕虫網を持った中年男性が登ってきた。ここは禁漁区だと詰め寄ると、「そんなことは初めて聞いた」「岐阜県からも新穂高の登山指導センターからも、何も言われたことはない」と主張する。ここは特別保護地区じゃないのかというと、「そんなことはない」と反論する。こちらも国立公園内の(規制の)線引き[註1]を正確に覚えているわけではないので、すったもんだの挙げ句、昆虫採集は「極力自粛する」ということで話がついた。このオヤジ、どうやら確信犯のようだった。
納得できる決着ではなかったので、小屋を下りてから、確認の意味で、当時の環境庁中部山岳国立公園管理事務所へ手紙を書いた。 貴職におかれましてはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。 さて、本年七月の下旬、岐阜県新穂高温泉から奥穂高岳へむかう途中、白出沢徒渉点付近で、捕虫網をもった登山者に出会いました。「ここは動植物の採集が禁止されているのではないか」と注意したところ、「そんなことは岐阜県庁でも新穂高の登山指導センターでも聞いていない」と答え、私たちの忠告には耳を貸しませんでした。 そこで質問があります。 1.蒲田川右俣林道終点の白出小屋から白出乗越へ至る登山道は「特別保護地区」ではないのでしょうか? 2.特別保護地区でないとしたら、第一種から第三種の「特別地域」のうちのどれに該当するのか教えてください。また、国立公園内の動植物の採集には営林署なり環境庁なりの許可が必要なのではないでしょうか? ご多忙中恐縮ですが、以上ご回答ください。 ほどなくして回答が寄せられた。 御照会のあった件についてお答えいたします。 1.について、蒲田川右俣林道終点の白出小屋から穂高小屋のある白出乗越へむかう登山道周辺の保護計画については、白出小屋附近は、第二種特別地域、その上部途中から第一種地域、さらに上部の穂高小屋周辺は、特別保護地区となっております。 2.について、昆虫、植物の採取をしようとする場合別表[註2]にしたがって自然公園法による手続きを必要とします。 したがって、特別地域の中での昆虫採集は、特に手続きを要しません。 なお、国立公園の特別地域においても、歩道などをそれて植生地に侵入し、その植生を踏み荒らすことは、国立公園の保護上から重要な問題として指導啓蒙しているところであります。 貴殿の照会については、以上ですが今後とも自然保護行政につきまして御理解・御協力をお願い致します。 なるほど。国立公園内だからといって、すべての場所で動植物の「採取」が禁止されているわけではないのだ。つまり、全面的に動植物の「採取」が禁止されている「特別保護地区」以外なら、「環境庁長官の指定する植物」いわゆる「指定植物」でないかぎり、採取はOKということだ。 同封されている地図を見ると、白出沢徒渉点を境にして、上部が「特別保護地区」、下部が「特別地域」に色分けされている。つまり、件(くだん)のオヤジと私がやりあっていた重太郎橋の左岸(白出小屋側)では昆虫採集は合法だが、橋を右岸にわたった瞬間からそれは違法行為になる。たとえは悪いが、泥棒に入ろうとして家のまえをうろついている段階で「職務質問」をしたわけだ。 もちろんここで問題にしたいのは、昆虫採集が違法だとか合法だとかいう瑣末なことではない。個体数が急激に減っている貴重種を、人間の欲望のために採取することの是非、倫理観を問うているのだ。。 この回答を読んで、国立公園とは何かという本質的な疑問を抱いた。「特別保護地区」「特別地域」はまだいいが、「普通地区」にいたっては動植物の採取が、文字どおりフツーにできる。許可さえとればホテルも建てられる。稜線にそって蛇のように細長く延びている「特別保護地区」は、もっとも規制がきびしいとはいえ、標高がたかく酷薄な自然環境のため、植生は、ハイマツ・ダケカンバ・一部の高山植物にかぎられ、標高は低いが、数多(あまた)の生き物がくらす白出の森のような「特別地域」にくらべて、生物の多様性は低い。生態系や生物多様性のような科学的な根拠が、規制の線引きの基準になっていれば「白出の森」もとうぜん特別保護地区になるはずだ。
「特別地域」のなかには伐採の斧を入れることもできる[註3]。たとえば、西穂高岳山頂付近から西穂山荘にかけての稜線西側は「第三種」地域なので、全面的に伐採して丸坊主にすることも、白出小屋周辺の森は「第二種」地域なので「風致の維持に支障のない限り」皆伐することも、リクツのうえでは可能である。しかも「2ヘクタール以内」とされている第二種地域の「一伐区の面積」は、「車道、歩道、集団施設地区、単独施設等の主要公園利用地点から望見されない場合は、伐区面積を増大することができる」という。早い話、見えないところは切り放題、というわけだ。 問題の本質は、自然公園法という法律じたいが、環境保全よりも「風景地」の保護と利用の増進に重点をおいていることだろう。その後の改正によってすこしはマシになったかもしれないが、「保護よりも利用」という本質[註4]は、いまも変わらない。登山道や山小屋から「望見されない」森が、皆伐されて丸坊主になってしまったら、貴重種はいなくなり、映画撮影もできなくなってしまう。 [註1]国立公園内の正確な(規制の)線引き 「自然公園法」により、国立公園内は、規制がきびしい順に、特別保護地区・特別地域・普通地域に分けられ、特別地域はさらに「第一種」・「第二種」・「第三種」地域と、段階的に規制が緩くなる。 [註2]別表
[註3]伐採の斧を入れることもできる 「昭和34年11月9日発第642号各県知事あて国立公園部長通知」によると、「第一種」地域は禁伐、「第二種」地域は択伐法、「第三種」地域は「特に施業の制限を受けない」となっている。 ※資料提供は(財)日本自然保護協会 [註4]「保護よりも利用」という本質 自然公園法第一条(目的) この法律は、すぐれた自然の風景地を保護するとともに、その利用の増進を図り、もつて国民の保健、休養及び教化に資することを目的とする。 |
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