| 第14回 双六小屋へ“出向” |
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七月二十日 お昼過ぎに下山指令がでる。霧につつまれた白出沢をかけくだると、セバ谷出合下のガレ場で、毛パンツやザックが散乱しているのを見つける。遭難者の遺留品らしいが、あまり気持ちのいいものではない。ニッコウキスゲが群生する岩切道を抜け、四時まえに白出小屋に到着。むかえの車で蒲田の宿へ送ってもらう。ここでカメラマンのO氏と合流し、双六岳[註1]周辺でビデオ撮影の助手をするのだ。一種の“出向”である。 O氏は、名作『シルクロ—ド』の撮影を手がけたこともある元NHKカメラマンだ。夕食のときに、あしたからの予定を聞くと、明朝ヘリで双六小屋へ飛び、笠ガ岳[註2]から三俣蓮華岳[註3]周辺を撮影しながら歩こうと思っている、ということだった。手はじめに今晩から撮影があるという。 七時ごろ宿をでる。今夜は新穂高温泉の夏祭り。花火があがるので、それを撮ろうというわけだ。ステ—ジが設けられた広場には、イカやトウモロコシを焼く出店もあり、けっこう賑わっている。 NHK流なのか、三脚をつけたまま、大きなビデオカメラをかかえて人ごみのなかをかき分けていくので、周囲の人たちに三脚の足がぶつかる。ぶつけられた人たちは、鼻の穴をふくらませてこちらをニラむが、恐縮しているのは私だけで、O氏はそんなことはいっさい気にかけず、雑踏のなかを突きすすむ。夕食時の話では「たんなる“遊び”だから作品には関係ないんだけどね」と言ってたわりには、祭りの役員を呼びつけて照明係をやらせたり、と、ずいぶん人さわがせな“遊び”だ。関係者は、我々のことをテレビ局の取材かなにかと勘違いしているようだ。 夜のとばりが降りて、ようやく花火の打ち上げがはじまろうとするころ、夕立にしては遅すぎる驟雨がおそってきた。花火を撮影するにはどうしてもレンズを上に向けなくてはならないが、雨はいっこうに止まないので、花火はあきらめ、特設会場のカラオケ大会に的をしぼる。 助手の仕事はカメラが濡れないように傘をさすこと。カメラマンは被写体を追うのに一所懸命で、前後左右上下と意の向くままにカメラを動かす。カメラの動きにあわせて傘をうごかしているうちにこちらはずぶ濡れになる。カメラマンの手の動きを見ながら、つぎの動きを読もうとするのだが、なかなかウマくはいかない。きれいな映像づくりのかげには、裏方のこんな苦労があるのかと納得した。 雨脚がさらに強くなってきたので、十時ごろ宿へもどる。 七月二十一日 飛び立ったヘリから左右の窓外をながめる。左と右とで、よくもまあこんなに景観がちがうものだ。右側の窓からは、ノコギリ状につらなる槍穂高連峰が見える。真下をながれる蒲田川右俣谷から稜線めがけて白出沢が一直線につきあげている。左手に見える、樹林におおわれた、たおやかな中崎尾根とは対照的に、槍穂高の稜線には「木」らしいものは見あたらない。 機は一気に高度をあげ、奥円山の上空で中崎尾根を乗っ越す。プロペラが巻きおこす旋風に木々の葉がなびくほど低空を飛んでいる。蒲田川左俣谷をよこぎると眼下に鏡平[註4]がみえてくる。水面が朝日にキラキラと照り映えているのは鏡池だろう。 樅沢(もみさわ)岳上空で西鎌尾根をとびこえる。逆光に浮かびあがる北鎌尾根[註5]の影は、カマというよりノコギリに似た黒いかたまりだ。ガクン!機体が急に左にかたむいた。右手に見えていた硫黄尾根の赤茶けたすがたが視界から消え、眼下の平坦地に赤い屋根がみえる。これが目指す双六小屋らしい。小屋のスタッフが誘導し、ヘリは着陸、わたしたちは地上へおりた。 きょうは朝からあわただしかった。朝食のハシを置くかおかないうちに来たむかえの車に急いで乗りこみ、鍋平のヘリポ—トへいくと、太陽光発電でお世話になっている(「第五回 太陽と風のロビー」参照)幾徳工業大学(現・神奈川工科大学)のS先生がすでに到着していた。双六小屋にも太陽光パネルを設置するのだという。私たちを乗せたヘリは七時半過ぎに飛びたち、十分ほどで双六小屋についた。 双六小屋は、双六岳と樅沢岳とのひろい鞍部に建っている。建物の敷地だけでいっぱいいっぱいの白出乗越にくらべて、ここの鞍部はかなりひろい。玄関を背にして立つと正面にみえる鷲羽岳をはじめ、まわりの山やまがなんともたおやかでゆったりとしている。小屋のまわりは気持ちの好い草原で、沢の音もちかい。「大草原の小さな家」的なおもむきがある。
小屋のご主人・小池さんが玄関先までわたしたちを出迎えてくれた。ヘリを誘導していたのは、支配人のYさんだ。あいさつもそこそこにさっそく情報交換するO氏と小池さんの話を聞いていると、ことしは天候が悪く開花が遅れているという。山岳写真家としても知られる小池さんのお話は信頼度がたかく、動画カメラマンのO氏にとっても参考になるようだ。 小屋でひと休みしたあと、樅沢岳山腹から撮影を開始する。雲がひくく垂れこめ、泣きだしそうな空もようのなか、縦走路を南へとむかう。最初の被写体は登山道脇のコイワカガミ(小岩鏡)。ピカピカと光沢のある丸い葉っぱが鏡のようにみえるこの草は、先っぽがささくれたラッパ状の、ピンクの花をつける。 すぐに三脚を立てて撮影をはじめるのかと思いきや、O氏はいきなり、被写体のまわりの「目障りな草」を引っこ抜きはじめた。「撮影するときはネ、女の人とおなじで、お化粧してやらなきゃいけない」という。1985年当時の私には高山植物の知識はほとんどなく、花がついていないものは“雑草”にしか見えなかったが、いま思うと、あのときO氏が引き抜いたのも立派な高山植物だったはずだ。いま思うと・・・いう話である。 こうして“お化粧”をし終わったO氏は、「神さんはマジメだからこういうことは絶対しない」と言い訳しながら、カメラのファインダーをのぞいた。そういえば、水引き工事のときに神さんは言っていた。「“雑草”一本たりとも踏んじゃいかんぞ」と。どうやら、神さんとO氏とのあいだには、プロとアマという立場をこえた本質的なちがいがあるようだ。 キヌガサソウ、ハクサンイチゲと、被写体はつぎつぎに変わる。撮影中は音をたててはいけないので、オナラもがまんする。ハクサンイチゲは、登山道から20メートルほどはなれた場所で白い花をつけていた。O氏は迷うことなく草地のなかへ入り込み、ほかの植物を踏みつぶして被写体にちかづく。「助手」がおくれるわけにはいかないので、しかたなくO氏のあとにつづいた。被写体として認められなかった数多(あまた)の“雑草”にとっては受難のときであっただろう。 ふりつづいた雨のおかげで花弁が痛み、いまひとつ「きれいじゃない(O氏)」のと、雨が本降りになってきたのとで、撮影を切りあげて小屋へもどる。が、ここでもまたO氏の“演出法”を目の当たりにすることになる。 小屋の南側にある双六池ちかくまでひき返してきたとき、草地にポツリポツリと咲くクロユリが目にとまった。雨もあがりかけていたので、三脚をたてて撮影にかかる。数本ある株のうち見ばえのいいものにカメラをむけ、「目障りな雑草」をひき抜く。ここまではいつもどおりの“お化粧”だったが、O氏はさらに、ちかくに生えているクロユリを四本ひっこ抜き、見ばえのいい株のまわりに立てて、いかにも群生らしく見せた。過剰演出つまり「やらせ」である。
午後からは小屋の北側の高瀬川源頭部へ被写体をさがしにいく。植物帯を踏みつぶしながら進むが、花はない。逆に、見つけたのは、美しい自然とはまったく逆の人工物だった。コンクリート製の巨大なサイコロ状の土台と、天にのびるアンテナ。気象観測ロボットのようだ。O氏もさすがに興ざめしたのか、はげしい雷雨が降りはじめたのを潮どきに、小屋へもどった。 七月二十二日 くもりがちのはっきりしない空がつづくが、ときおり姿を見せる青空には入道雲がうかび、ハイマツの、深みのある赤い花が夏本番をおもわせる。午前中撮影にでかけるものの、長雨で花弁が割れたりしなびたりしているものが多く、収穫はすくなかった。 二日間の撮影を通じてわかったことがある。山岳写真や高山植物の図鑑写真でも実態はおなじだと思うが、高山植物のビデオは、あるがままの自然な花の姿を写したものではけっしてない。美男美女しか登場しないテレビドラマのように、完璧にかたちのととのった花だけが画面を彩る、などということはじっさいにはありえない。花弁が割れていたり、しなびていたり、虫食いがあったりするのが自然なのだ。 写真集やビデオは名場面集であり、朝日を浴びてまっ赤にそまる山肌や、まばゆいばかりの光をあびる百花繚乱の花畑や、青い空とまっ白な入道雲しかでてこない。だけどじっさいには、霧で視界はなく、しおれた花が申しわけていどに咲く花畑がひろがっていることの方が多い。きれいに咲きそろってなくても、長雨にたえて生きのびようとする高山植物のけなげさに感動する感性を養いたいものだ。 七月二十二日 朝八時ごろお迎えのヘリが穂高から飛んできた。双六岳周辺の花が「予想外の不作」だったので、O氏は撮影をあきらめて穂高へむかうことにしたのだ。機内から空撮をしているうちに蒲田川をとびこえ、穂高小屋についた。 わずか三日間だけ小屋をはなれていただけで、「浦島太郎」になった気がする。双六小屋から穂高小屋への移動は、田舎から上京してきた感じなのだ。小屋をとりまく自然環境から訪れる登山者の姿かたちにいたるまで、双六と穂高とではかなりちがっている。誤解をおそれずに言うと、双六小屋は民宿、穂高小屋は観光ホテルだ。 いちばんちがうのは客層である。双六小屋を訪れる登山者の大半は、毛織りのカッターシャツにニッカーズボン、革の重登山靴という「正装」だが、穂高では少数派だ。多いのは、新素材[註6]のシャツに短パン、軽いトレッキングシューズといういでたち。なかには「渋谷センター街」から直行したような場ちがいな若者もいる。 どうしてこういう違いがでてくるのだろう。それはたぶん、穂高小屋は目的地であるのに対して、双六小屋は通過点であるということが大きいのではないか。 日本で三番目に高い山・穂高の盟主である奥穂高へは、足の速い人なら一日、ふつうの登山者でも中一泊でのぼれる。新宿からの夜行バスと、松本からの路線バスを乗り継げばアクセスもよい。途中に山小屋もたくさんあるので、極端な話、サイフと雨具さえあれば登れる。 それにくらべて双六小屋はどうか。双六岳を目的地にする登山者は失礼ながらほとんどいないだろう。登山者が双六小屋をめざすのは、そこを中継点にして、槍ヶ岳や立山方面へぬける縦走を目的にしているばあいが多い。行程も三泊・四泊になるので、荷物も大きくなり、しっかりとした足ごしらえが必要だ。必然的に「正統派」が多くなる。
また、これは印象にすぎないが、姿かたちだけではなく、内面的にもちがっているように見うけられる。穂高のお客はスレているが、双六小屋のお客は純朴そうだった。山にたいする姿勢のちがいなのだろうか。 [註1]双六岳 北アルプス南部、信濃川の支流・高瀬川と、富山湾にそそぐ神通川の支流・双六川の分水嶺にある。 [註2]笠ガ岳 穂高連峰の西側にそびえる、やや独立峰的な山。 [註3]三俣蓮華岳 富山・長野・岐阜、の三県の県境に位置する山。 [註4]鏡平 穂高連峰の西面の景色、いわゆる裏穂高の展望台として人気がある。池の水面に穂高連峰を投影する鏡池は有名。 [註5]西鎌尾根・北鎌尾根 槍ヶ岳から四方に派生している尾根のうち、東にのびているものを東鎌尾根、西にのびているものを西鎌尾根、北にのびているものを北鎌尾根と呼んでいる。南には穂高へとつづく稜線がのびている。 [註6]新素材 吸湿性・速乾性を追求した化学繊維。当時は、オーロンやポリプロピレンの下着がではじめた頃だった。 |
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