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山楽舎BEAR  
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2010/09/06 Monday 22:34:31 JST
 
 
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Bureau of Ecotourism in Asahidake Range

 

山楽舎BEARは 「 大雪山の“いま”を楽しみ“あした”を考える 」 をテーマに、登山ツアー・エコツアーを行っているガイド組織です。

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第16回 気象ファクス
   明日の天気は?

 テレビ番組のなかでニュースの次によく見られているのが天気予報だという。ちかごろでは、たんに予報を流すだけではなく、気象衛星による雲の画像や予想天気図を使って、大気のようすを解りやすく説明してくれる。そのおかげだろうか、「雲の動き」や予想天気図を見ただけで、明日の天気がわかったような気になり、肝心の予報を聞きのがし、あれっ?あしたの予報はどうだったっけ?などと、後になってから思いつくことがある。これはひょっとしたら、ヤマ屋の習性にちかいものなのかもしれない。


前穂北尾根と入道雲
(1985年7月31日撮影)


 昔かたぎのヤマ屋は、山へ入るときはかならず、天気図用紙とラジオを持っていくことになっている。夕方四時の気象通報をきいて、天気図を書き、翌日の天気を判断する。そんなめんどうなことをしなくても、予報を聞けばいいじゃないかと思われるかもしれないが、それには理由がある。

 日本全国晴れているはずなのに、自分がいる場所だけは雨が降っているということが、山ではよくあるのだ。高気圧におおわれていれば下界ではたいてい晴れる。ところが上空に寒気が入っていたりすると、山では降られることが多い。気温の急降下とか、風向きの急変、雲の形の変化などが山では重要な意味を持ち、場合によっては「予報」よりも的確に天気変化を読むことができる。天気予報といえども、ひとつの判断材料に過ぎないということだ。天気図を書いて自分で天気変化を予想したり、気温や風向きの変化をみて「雲行き」を読む習慣が身につくと、とくに「予報」をみなくてもよくなってしまうのだ。


夕暮れの槍ヶ岳
(1992年7月30日撮影)


 穂高小屋には気象ファクシミリがあり、一日に五回、気象会社から天気図が送られてくる。おかげで、昔かたぎのヤマ屋も天気図書きというめんどうな作業から解放される。ところが、玄関の掲示板に張ってある天気図を見て翌日の天候を予測しようとする人は、あまりいないようだった。ほとんどの登山者は天気予報を鵜呑みにしているのである。「今日は全国的によいお天気で」とレポーターが告げているのに、窓の外は霧でまっ白……という現実があるにもかかわらず。

 3時と9時・15時の地上天気図、9時の高層天気図、翌日9時の予想天気図の計五枚の天気図が掲示板に張られている。これら五枚の天気図をそのたびに受信して掲示するのが私の仕事だった。ファクシミリの電源は貴重な太陽光エネルギーである。貴重なエネルギーと労力があまり有効に活用されていないのが、業務に携わっている身には情けなかった。

 天気図を掲示板に張っているとときどき声をかけられる。
「あした(の天気)はどうですか?」
こういうときは「雨ですね」と素っ気なく答えることにしている。希望的観測を伝えるよりは、もしも晴れたときの喜びが大きいだろうという“気配り”である。手っ取り早く天気を知りたいという気持ちはよくわかる。しかし、せっかく天気図が掲示されているのだから、せめて見てから訊いたらどうだろう、といつも思っていた。いまの自分ならもうすこし“大人の”対応ができるのだろうが……。


   自殺志願

 八月も終わりに近づくにつれて登山者の数が減ってくる。いそがしい夏のあいだ、小屋の仕事を手伝ってくれた学生アルバイトも、三々五々、学校へもどって行った。おまけに従業員も便乗して休暇をもらって降りてしまうので、小屋のなかはひっそりとしてきた。


穂高小屋全景
(1992年7月30日撮影)


 とうぜん小屋内の雰囲気も、以前とはちがってくる。静かになった小屋のなかで、ボーッとして、皆、時間をもてあましているふうなのだ。いそがしかった夏が終わって、気持ちの切り替えができないままでいる、といった感じだ。そんなある日ちょっとした事件が起こった。

  9月1日午後三時ごろ小屋の電話が鳴った。
「自殺志願のYというものがそちらにうかがっていませんか?」
電話をとったヘイ子さんの話によると、その人は、家に書き置きを残して、死ぬために穂高へ向かったという。

 しばらくして、下の涸沢小屋から電話が入り、「Yさんは北穂へ向かったが、稜線上は風がつよく“危険”なので、ふたたび涸沢に降りてから奥穂へ向かいましたので、ヨロシク……」。
これから死のうとしているヒトに、なにが“危険”なのか、よくわからないが、Yさんを止めようともせず、こちらへ向かわせる涸沢小屋の対応は理解に苦しむ。

 Yさんは夕方小屋に着いたが、「問題は解決したので帰ってこい」という内容の電話が自宅からあり、死ぬのは止めたようだった。写真週刊誌的な野次馬根性から、Yさんが自殺を思い立つにいたる原因を推測したわれわれの好奇心は、満たされたのか、満たされなかったのかはわからないが、まことに不謹慎ながら、絶好の暇つぶしであったことだけは間違いない。


夕焼け雲
(1992年8月2日撮影)


 そうこうしているうちに秋は深まり、秋雨前線が本州の南岸に停滞する季節になった。“日課”の気象ファクシミリで週間予報をとっていると、今後一週間ほどは天気が安定しそうなので、私もここらで休暇をとって山歩きをすることに決めた。かねてから一緒に行きたいと言っていたオトメさんと霞沢岳へ行くことにする。霞沢岳は、蝶ヶ岳から徳本峠(とくごうとうげ)へ連なる稜線のさらに西側に連なる山で、当時、地図上に登山道が記載されていなかったが、じつはしっかりした踏み跡があり、徳本峠から日帰りできるという情報を、カメラマンのU氏から入手していたのだ。

 (以下次号につづく)
 
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