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2010/09/06 Monday 23:32:23 JST
 
 
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Bureau of Ecotourism in Asahidake Range

 

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第19回 峠の山小屋(3)
 建物の“立派さ”について正直な感想をもらしたところ、徳本小屋は建てられてから60年たつが、増築をのぞいては、まったく建物に手が入れられていないという話を聞いた。この話題が呼び水となって、峠の歴史や「徳本」の名の由来にかんする諸説を聞く。

 徳本峠という名前じたいが後世つけられたもので、もともとは単に「峠」とだけ呼ばれていたようだ。信州松本から島々谷を通って「峠」を越え、上高地からさらに中尾峠を越えて飛騨にでる道は、前述のように古くから生活の道として使われていたので、この近辺で「峠」はここをおいて外になかったわけだ。ところが明治になって地図をつくろうとしたときに地名が必要になり、普通名詞の「峠」では不都合だということで、「徳本」の字を当てて「とくごう」と読ませるようになった。

 「徳本」の字の由来については有力な説がある。徳川将軍吉宗の付き医者に徳本(とくもと)という人がいた。吉宗が病気になったとき、彼がこの峠へきて薬草を集め、それを将軍に献じたことから「徳本」の字が当てられたという説だ。じっさい峠から霞沢岳にかけての一帯では薬草がたくさんとれるという。

 たとえばこの辺りでとれたシラタマノキの実を焼酎に漬けた白玉酒の臭いは、湿布薬の「トクホン」と同じだ。薬屋のトクホンの名の由来がじつは「徳本」だというのはうなづける話である。

 ではなぜ、徳本と書いてトクゴウと読ませるのか?これについては今ひとつすっきりしない。いまの明神のあたりにかつてあった「とくごう」という屋号が起源ではないかというが、どうも説得力に欠ける。どうやら、最終的には郷土史家の研究に任せるしかないという「結論」だった。

 (1985年当時)小屋の宿泊者は年間に800人、最高でも一日50人程度だという。穂高小屋の最盛期の二日分が「峠」の一年分にあたる。しかし、たった二人で50人ぶんもの食事を用意できるのだろうか?小松さんは何でもないさという顔でこう応えた。
「そんなときは客が手伝ってくれるさ」。なんだかうらやましい話だ。宿泊者の少なさはそのまま、小屋番と客との距離の近さになっている--そんな気がした。


徳本峠小屋
(1985年9月10日撮影)


 一方で、客がなければメシが食えない、という現実もある。宿泊料が5000円だから、年間800人が泊まるとして、収入は400万円。ここから必要経費が引かれるので、これだけで生活していくのは苦しい。そこで以前から構想があった、大滝山-「峠」間と、霞沢岳-「峠」間のル-トを整備して登山客を集めよう、ということになった。

 残念ながらいまのところ成果は現れていないようだ。上高地からわずか二時間ほどで来れる場所にこれほどすばらしい峠があることに気づかない人が多いのは、目の前にある穂高にしか関心がないからなのか。最盛期の穂高に押し寄せる観光客的な登山者が、この静かな峠に殺到したら、おそらくこの佇まいは失われるだろう。そう考えると、小屋番の生活はともかく、徳本峠は今のままで良いのではないかという気もする。

 われわれ二人が加わったおかげで、下からボッカしてきた貴重なアルコ-ルが底をついてきた。ヘリでの荷揚げとちがって、一回40~50kgの荷を背負って峠を往復する伝統的なスタイルだ。テン場代300円でこんなに飲み食いをしては申し訳ない。しかも小松さんは
「ウチのテントで寝ろよ」とまで言ってくれる。テント場に張ってある大型のキャンプ用のテントだ。客のいないときに小松さんが一人で寝ているこのテントには布団まで用意されているという。
「エッ、いいんですか。でも、寝袋もってるから……」
「なにっ、寝袋!」と、こんどはK氏。
「寝袋で寝るのか?お前ら。オレなんか、いつもツェルトかぶって、シュラフカバ-だけで寝てたぞ!慣れちまえば、どんな寒ィ-とこでも寝られるようになるんだ」と、興奮気味だ。バリバリのクライマ-であるK氏からみると、われわれのような「近頃の若いもん」はヤワで見てられないということになるのであろう。

 われわれがもってきたテントというのはじつはツェルトだったので、二人で顔をつき合わせて寝るよりは、と、小松さんの厚意に甘えておおきなテントで寝かせてもらうことにした。

 (以下次号につづく)
 
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