| 第20回 峠の山小屋(4) |
|
九月十日 四時半ころ起床。夜中にテントのまわりを歩くような物音をたぶん聞いて、なんども目を覚ましたためよく眠れなかった。「たぶん」と断るのは、ひょっとしたら夢のなかで聞いた可能性もあるためである。 テントからでて東の空をあおぐ。南西の風が強く、八ヶ岳の上空にはレンズ雲がかかっている。朝食のラーメンをつくろうと火をつけるが、ストーブの調子が良くないのと風が強いのとで、なかなか湯が沸かない。ようやく湯に麺を入れる頃になると、臭いを嗅ぎつけたロクが「警備小屋」から出てきた。むろん、朝食ができても「野生を失うのでエサは与えない」。 東の空には悪天の前兆といわれるレンズ雲がひろがり、西の空には墨を流したような畝雲が穂高の頭上を圧している。東西に開けていて展望が良い徳本峠だが、素直に喜べない“展望”である。
きのう登ってきた登山道をすこしもどると霞沢岳への分岐を示す道しるべがある。ここからは尾根の北側につづくゆるやかなつづら折りになる。静かな樹林の登りは、北アルプスというよりは、奥秩父か丹沢の山を思わせる雰囲気だ。 しだいにきつくなる勾配がゆるやかになったかと思うと、そこはすでに山頂の一角で、樹林のなかに帯状の草原がひろがっている。さらに一・二分あるくと、急に東側の展望が開け、「ジャンクション・ピーク」の指標がある(標高2428m)。 山頂からは、晴れていれば一大展望が楽しめるという話だったが、あいにくのくもり空。八ヶ岳などの遠い山やまはすでに霞んでいる。きのうの疲れが足にたまっているようで、ペースがあがらない。雨に捕まらないうちに霞沢岳まで行ってしまいたいので、休憩は短めにして出発する。 ジャンクション・ピークからすこし南へくだると、登山道が南と西とに分かれている。霞沢岳へは西へ進路を取る。細々と南へ延びる踏みあとは小嵩沢山を経て水殿ダムへと下る道だろう。パッと見は、ほとんど廃道だ。帰ってから小松さんに聞いたところ、かつては信州と飛騨とを結ぶ生活道だったが、いまでは冬期ルートとして一シーズンに一・二パーティが利用するだけだという。 よく出るというクマにこちらの存在を知らしめるべく「ヤッホー」とか「オーイ」と叫びながら、ゆるやかな尾根道を北西に下っていく。登山道と区別がつきにくい小さな枯れ沢やケモノ道が入り乱れているため、踏みあとだけを追っていくと迷いそうになるが、小松さんいわく「5メートルおきに」木肌に打たれた赤ペンキをたどっていけば、その心配はない。疲れているせいか、樹林越しに見える霞沢岳がやけに遠くしかも高く見える。 K1—ジャンクション・ピーク間の最低鞍部(2261m)には樹林にかこまれた小さな地溏があるが、水は汚くて飲めない。穂高の稜線にかかる黒雲はいまにも泣きだしそうだ。
樹林歩きをたのしみながら小さな起伏をくり返すうちに、霞沢源頭の大ナギ(崩落地)の淵にでる。ここは霞沢が主稜線に突きあげている所で、K1まで高度差約300メートル。すこし登り、北に六百山をのぞむ小ピークの頂きに立って行く手を見る。目の前に見えているのはK1そのものではなく、“肩”だと思われる。地形図を見ると、水平距離がないわりに等高線が混んでいるので、鉄砲登りを覚悟せねばなるまい。 尾根の北側を大きく巻いたあと、急登がはじまった。黒土がむき出しの登山道はツルツルと滑りやすく、木の根が出ている所もあって歩きにくい。クマも滑ったと見えて、登山道上にあったツメ跡が50センチほどスリップしていた。 胸を突く急登が終わったとたんに目の前がパッと開ける。360度の大展望だ。ここがK1で、いま歩いてきた常念山脈の主稜線と、霞沢岳から六百山へと続く稜線との丁字路になっている。細い踏みあとを北へたどると六百山、縦走路を南へむかうと霞沢岳だ。
南へ進路を取る。K1から尾根上の小ピークK2を経て霞沢岳へとむかう登山道は、いままでの樹林歩きから、植生がハイマツ帯へと変わり、展望が俄然良くなる。晴れていれば、北アルプスから八ヶ岳・浅間山・南アルプス・中央アルプス・富士山などの山やまが一望できるに違いない。 K1から30分ほどで霞沢岳に着く。枯れかけたトウヤクリンドウが過ぎ行く季節を物語っている。展望は本峰よりもK1のほうが良いので、行動食をたべて引き返す。登山道脇のシラタマ(ノキ)の実が目につく。 K1にもどるころには雲の切れ間から青空がひろがってきていた。欲を出して六百山まで往復しようかとも思ったが、踏みあとが不明瞭で時間もないので、そのぶんK1山頂でのんびりすることにした。 ぼんやり空をながめているうちに眠ってしまったようで、肌寒さに目を覚ますと、すでに日が陰ってきていた。帰り支度をして、K1直下の急斜面を降りはじめる。 黒土の急斜面のあとは、しばらくゆるやかな起伏をくり返す。腐葉土が積もった道はほどよく弾力があって感触がよい。道ばたに生えるクロマメ(ノキ)の実を口にふくんだオトメさんがすぐに吐き出した。熟していない実はかなり酸っぱそうだ。 K1から一時間足らずで最低鞍部につく。時間的余裕はたっぷりあるが、体力的余裕はまったくない、というわけで、ここでもすこし横になる。あとで小松さんに聞いたところでは、この辺りが「いちばんクマの出やすい場所」だという。出発してすぐクマ糞を見つけたのはそういうわけだったのか。そんなこととは知らずに、クマの住処のド真んなかで昼寝をしていたことになる。 ジャンクション・ピークの登りにかかるころには、すでに「足が棒」になってきていた。ほとんど登りを感じないほどの緩やかな斜面なのだが、なまりきった足には確実にひびく。 三時半頃、峠に着いた。カラカラに乾いたのどを潤すためにまずはビールで乾杯。行動食をつまみに登頂祝いだ。ようすを感じて小屋から出てきた小松さんが話しかけた。 「クマ、出た?」 「足跡だけで姿は見えませんでした」 「……そう。ところできのうの夜クマが出たらしいんだ」 「エッ、どこで?」 「小屋のまわりで、さ。30分くらいうろついてたらしい」 「……」 夜中に「たぶん」聞いた物音は、どうやら本物だったらしい。
話しているうちに女性が一人登ってきた。お客さんのようだ。小松さんたちも食事の準備で忙しくなりそうなので、われわれも話を切り上げ、昨夜の強風で傾いたツェルトを張り直すことにした。 昨夜と同様にアルファ米とレトルトの「すき焼き丼」を混ぜて一煮立ちさせただけの夕食をすませると、夕方から降りだした雨にたたかれるツェルトを出て、小屋へ遊びに出かける。 きのうとはちがって今夜は女性客がいるので、カーテンの奥の"宴会場"はすでに宴たけなわである。われわれ二人もコップに焼酎を注ぎ、ポットの湯で割る。いいかげん“出来上がって”きたころ、「峠」秘蔵のいくつかの果実酒がふるまわれた。 まずはシラタマ酒。この酒はシラタマノキの実を焼酎に漬けたもので、チール臭がする。口にふくむとヒヤッとした感触があり、やがて甘さがひろがってくる。お世辞にも美味いとはいえないが、筋肉疲労にはよく効くとか……。 ハイマツの実をウイスキーに漬けた酒は、ほんのりと松脂の薫りがしてけっこうイケル。最後にでたのがサンカヨウの実をウイスキーに漬けて砂糖を加えた酒。砂糖の入れ過ぎとしか思えない甘すぎる味はとても飲めたものではないが、“杜氏”の小松さんだけは、頬に微笑を浮かべながら「美味い」といって飲んでいた。 いよいよ宴も佳境に入ってくると歌が飛び出す。小屋には「穂高よさらば」「坊がつる讃歌」「新人哀歌」などの山の歌がぎっしり詰まった『峠の歌集』が、第一集・第二集とそろっている。音符どおり正調でうたう小松さんに対し、小坂さんは「ほんとうはこうなんだ」といって独自のメロディーでうたう。山の歌は口伝えでうたわれるので、大学や山岳会によって微妙に違いがでてくることが多い。 われわれ同業者四人組が勝手に盛り上がってしまったおかげで、お客であるはずの女性はとんだとばっちりを受けるハメになった。自称22歳のこの女性は、お客であることをすっかり忘れられ、「スルメを焼け」だの「リンゴの皮を剥いてこい」だのと、スタッフに用事を言いつけられ、挙げ句の果てに、「リンゴの皮はこうやって剥くんだ」とか「スルメの焼き方も知らないのか」などと文句をつけられる。じっさい、スルメの足を一本ずつ裂いてから網に載せるのを見せられては、まぁ、仕方ないのだが……。 11時を回ったのでわれわれはテントへ戻ることにした。外へでてみると雨が本降りになっている。せまいツェルトに二人で横たわると、ポツリポツリと水滴が顔に落ちてきた。このぶんでは夜が明ける頃までにツェルトのなかは“池”になっているだろう。となりの(小松さんの)テントで寝ようとオトメさんを誘ったが、「オレは(このままで)いいよ」と言い張るので、ひとりだけ寝袋を抱えて引っ越した。持ち主の意地があるのか、オトメさんはツェルトのなかで頑張るらしい。 雨がしきりにテントをたたきつける音を聞きながら、眠りに落ちていった。 (以下次号につづく) |
| < 前へ | 次へ > |
|---|








