| 第21回 峠の山小屋(5) |
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九月十一日 寝袋のなかでまどろんでいるとオトメさんが入ってきた。全身ずぶぬれのうえに雨具まで着けている。思ったとおり、ツェルトのなかはこの雨で“池”になったようだ。気がつくと寝袋の下の敷き布団が濡れている。小屋の人たちの厚意で貸していただいた布団を濡らしてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。昨夜が愉快であっただけに、ときおり水滴がしたたるテントで食べるドライフードが、惨めな気持ちを増幅する。 出発前にいろいろお世話になったお礼と布団を濡らしてしまったお詫びをする。 「ああ、いいよ」と小松さんは言ってくれたが、こちらはなんとも情けない気持ちになり、逃げるように峠を後にした。雨脚が強くなり、登山道上を沢のように水が流れている。思い出ぶかいこの峠道をいまは下るばかりだ。 路上に飛び出してくるカエルを踏んづけにないように気遣いながらひたすら歩きつづけ、昼前に横尾山荘に着いた。中へ入ってラーメンでもつくろうかと思ったのだが、自炊や食べ物の持ち込みは「ご遠慮願い」たいとのこと。仕方なく小屋の前のベンチでかりんとうを食べていると、小屋のなかから若い女性が出てきて話しかける。 「この先の橋が増水で流されそうなので、私たち二人だけでは行かないほうがいいって言われたんですけど、よろしかったら、ご同行させてもらえませんか?」女性二人のパーティーだ。 「ええ、かまいませんよ」。というわけで即席パーティーができあがった。
左岸の樹林沿いに登りはじめるあたりで、女性の一人が遅れだした。 「一本とろうよ」というオトメさんの言葉にしたがい、30分も経たないうちに休憩を取った。夜行で来たというので疲れが出たのかもしれない。「腰の調子が悪いので、もう少し休んでいきます。すみませんけど、先に行っててください」という。「この先は危ないところはないから大丈夫。あと一時間くらいで(涸沢)ヒュッテに着きますよ」と言い残してわれわれ二人は出発した。 夜行で来て、いきなり30キロちかい荷を背負って歩くのとは違って、山行三日目のわれわれは体も慣れてきたらしく、樹林のなかを快適に飛ばす。雨のせいで道がぬかるんでいるのは仕方ないとしても、ふだんなら水が流れているとは思えないような枝沢が、水流に足を取られないように気をつけなければならないほど増水している。本谷と涸沢との合流点を過ぎるころから、登山道じたいが沢のようになってきた。樹林の切れ間から、下を流れる沢を見おろすと、「カラ沢」どころか鉄砲水だ。さっきの二人に「危ないところはないから大丈夫」などといいかげんなことを言ってしまったのが悔やまれる。 涸沢ヒュッテが近づくにつれて雨脚はさらに強まり、沢と化した登山道を濁流が流れる。九月も半ばだというのにナナカマドの葉はまだ青く、真っ赤な実だけが目に鮮やかだ。““激流”を登りきってようやくヒュッテにたどり着いた。 中へ入り、後続の二人のことを話して、出発しようとすると、眼鏡をかけてでっぷりと太った親父さんが出てきて、「君たちはこれからどうするんだ」と訊く。支配人の小林さん(1985年当時)、通称「親分」だった。「上へ登ります」と答えると、「こんな日に登ったら遭難するぞ」とクギを刺されてしまった。天候は回復しそうにないし、さっきの二人のことも気になるので、泊めていただくことにする。 小林さんからアンパンとリンゴとコーヒーをいただいてくつろいでいる間にも、オトメさんはさっきの二人のことが気になって仕方ないようすだった。「オレちょっと行ってくる」と言い残して、雨のなかへ駆け出していった。 ストーブで濡れた衣服を乾かしながらオトメさんの帰りを待つ。一時間たった。後を追いかけようかと思い玄関へ出ると、そこへオトメさんが帰ってきた。「さっきの(別れた)場所まで行ってみたけど誰もいなかった。たぶん横尾へ戻ったんだろう」という。なんとも後味のわるい話だ。横尾谷へ流されたなどということがなければよいが……(じつはこの間、小林さんが連絡をとり、二人が横尾へ戻ったことを確認している)。
飲みながら今回の山旅についての“反省会”をする。テント山行しかしたことがないわれわれにとって、小屋泊まりの山行はとても刺激的だった。とりわけ「峠」での二晩は、小屋番と焼酎を飲みながら語り合うという、山小屋の原点ともいえるスタイルを味わうことができ、大規模化・観光化した穂高の山小屋で働く身にとっては新鮮な体験だった。もちろんヒュッテの人たちの心遣いにも感謝したい。自然と、そこで働く心優しい人たちに乾杯だ。 酒に明け暮れた今回の山旅の最後を飾る華やかな晩餐を終えて部屋にもどる。ベッドに横になるとすぐに心地よい眠りが襲ってきた。 九月十二日 雨が降りつづいている。 天気がよければ北尾根を登って小屋へもどろうかと思っていたが、晴れそうな気配はない。待ってもムダのようなので、ヒュッテの方に挨拶をして出発した。 乳白色の深い霧につつまれて展望はない。ザイテングラートの岩稜の途中でライチョウの親子を見つけた。ヒトの目を引きつけようというのか、親はヒナからすこし離れて、登山道のすぐ傍を歩いている。まるまると太った可愛いヒナは、草むらのなかをよちよち歩きだ。 昼ごろ小屋へ着く。 |
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