| 第22回 事故(1) |
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九月も半ばになると、日中でもセーターを着ないと寒く感じられるほどの気温になる。夜になればストーブが恋しいし、朝方は頭から布団をかぶらないと眠れないほどだ。しかも秋の長雨で天気は悪い。
そんな悪天の晴れ間をついて水道管の撤収作業がおこなわれた。夏のあいだ小屋の水需要をまかなっていた「天命水」が涸れたのだ。作業の合間に目にする景色は、七月のころとかなり変わっていた。架設工事のころは大きく残っていた雪渓が姿を消し、黒っぽい岩肌ばかりが目につく。あとひと月もすれば、この黒々とした斜面をふたたび深雪が覆いはじめる。 九月二〇日 朝食が終わるころから霧雨が豪雨に変わってきていた。午前中に食料庫の整理を終え、昼飯をすませて午後の仕事にかかろうとするころ、登山道整備に出ていた松っつぁんが、血相を変えて小屋へ飛びこんできた。 「神さぁ~ん!タイヘンだぁ~!事故ったぁ~!包帯と止血剤を早くぅ~!」 「えぇっ!いったい誰が事故ったんだ?」と、神さん。 「……」。答えにならない松っつぁん。 「マツっ!あわてても仕方ないだろ。落ちつけョ」 気ばかり焦って要領を得ない松っつぁんではあった。が、作業に出かけた三人のうち、松っつぁん以外の二人のうちのどちらか(または両方)がケガをしたのは確かなようだ。 その二人とは、重太郎橋の架橋工事のときにお世話になったウエキさんと、彼の山仲間のAさんのことだ。涸沢岳と北穂のあいだの縦走路に新たに鎖を設置する工事のため、三日前から小屋に逗留していた。ウエキさんはプロの山岳ガイドだし、Aさんも同程度のベテランだ。その二人が事故るとは、いったいなにが起きたのか。 「県警(岐阜県警山岳警備隊)の荷物のなかから人を運ぶやつをもってきてくれ」と松っつぁんに言われ、小屋に置きっぱなしになっているパトロール隊の“七つ道具”のなかを探してみるが、「人を運ぶやつ」がどれだかわからない。仕方なく、いっしょに探していたボン君が松っつぁんを連れてきて、赤ちゃん用の背負い紐に似た搬出器を、小さな段ボール箱から取りだした。 松っつぁんが「いっしょに来てくれ」というので、急いで登山靴を履き、雨具を着て小屋を出る。横なぐりの強風で視界がわるいうえ、体温でメガネがくもるので、ほとんどなにも見えない。通いなれているはずの涸沢岳への登路でさえ、ペンキの○印をしっかりたどっていかないと、行き止まりの崖っぷちに出てしまう。南北に細長い山頂を横切りながら事故現場を探すが、霧が深すぎて見当がつかなかった。 ようやく着いた現場は、細長い山頂の北端から、北穂方面へ向かって垂直にほぼ十メートルほど切れ落ちているルンゼだった。鎖場になっていて、夏の最盛期には、順番待ちの列ができるところだ。神さんの話によると「前は、ここにあった大岩がせり出してオーバーハングになっていた」というが、その大岩が崩れ落ちたため、オーバーハングどころか、逆に岩肌がえぐれている。いまにも崩れ落ちそうな岩や石が、微妙にバランスを保ちつつ、かろうじて転がらずに持ちこたえている。真新しい白っぽい切断面が生々しい。 先に現場に到着した神さんと松っつぁんは、鎖を伝ってルンゼをくだり、事故者のようすを見に行っていた。身を乗りだして垂壁の下をのぞいてみると、ガスの切れ間に、ようすが見える。どうやら事故者はウエキさんとAさんの二人のようだ。 しばらくして神さんが上がってきて小屋に無線を入れる。 「ケガ人の様態は……ガガガッ(雑音が多い)……ウエキは前頭部右側に8センチほどの裂傷だが、たいしたことはない模様。Aさんは右足首を骨折……ガガガッ……添え木とそれを縛るヒモ、担架……ガガガッ……ええいっ、雑音が入るなっ!無線機用の電池をもたせて誰かをよこしてくれ!」 しかし無線の感度がわるく、意図がまったく伝わっていないようだった。業を煮やした神さんは、たったいま応援に駆けつけたクラちゃんを、ふたたび小屋まで走らせた。
そのあいだに現場では、事故者を助けだす手筈をかんがえる。事故原因が落石であることは現場を見れば明らかだった。崩れ落ちた大岩の付近には、まだこれから崩落しそうな浮き石がたくさんある。これらを除けてから救助にかからないと二次災害を引き起こす恐れがある。危険な浮き石を持ち上げるためにはロープが必要だし、落石の危険がある現場に降りるためのヘルメットや、事故者を保温するための毛布もいる。ケガばかりでなく、事故によるショック症状でも事故者の体温は下がるからだ。 これらの装備をもってきてくれるように、再度小屋へ無線を入れる。われわれが救助の手筈を考えているあいだに、無線機用の電池をもってクラちゃんが現場に帰ってきていた。 (以下次号に続く) |
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