| 第25回 番外編・穂高再訪(1) |
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2008年10月15日から17日にかけて15年ぶりに穂高連峰を訪れた。山小屋物語番外編として、今回から三回に分けて報告する。 10月15日 気圧の谷がゆっくりと抜けてゆき、雨が上がった午前十時過ぎ、山道具一式を車に詰め込み、越後高田の実家から国道18号で一路信州をめざす。長野で19号に入り、槍ヶ岳から流れ出る梓川の下流にあたる犀川沿いに松本へ。島々宿を過ぎるあたりから両岸が切り立った渓谷になり、道幅の狭いトンネルが連続する。北海道の広い道になれた身には、運転するだけでも気疲れしてしまう。 ようやく目的地の沢渡(さわんど)に到着し、駐車場に車を入れるなり、料金徴収のおじさんがやってきた。 「登山ですか?何日に戻ります?……それでは¥1500になります」。1日¥500、3日で¥1500というわけだ。ナンバーをみるなり 「北海道から来たの?オレも帯広から来てるんだよね」という。出稼ぎだろうか。不景気だからなぁ……。 昔、穂高で働いていたころは、10月10日の体育の日を過ぎるとマイカー規制はなくなり、上高地まで車で行くことが出来たのだが、現在は、信州側は沢渡、飛騨側は平湯までしか入れず、そこから先はシャトルバスに乗ることになる。午後三時の便に乗るが、乗客は私一人。料金は往復で¥1800。 道幅が狭くむき出しの岩肌に肝を冷やしながらすれ違っていた難所の釜トンネルも、「新釜トンネル」に改装されてすっかり走りやすくなっていたが、驚いたのは観光バスの多さだ。一分と間隔を空けずに対向車線から大型バスがやって来る。ときには三台くらい繋がって、だ。しかもほとんどのバスが満員である。以前は上高地といえども、この時期には閑散としてたものだが……。なんだか浦島太郎になった気分。一列になって車道を横断し、車の通行を妨げる猿の群れに「本州」を感じつつ、走ること約30分で上高地バスターミナルに到着。 駐車場についてバスの多さにまたビックリ。何十台いるのだろう?秋の高原温泉の比ではない。見慣れた旅行会社の旗をもった添乗員さんを先頭に観光客の行列があちこちに出来ている。来るときは私一人だったシャトルバスも、帰りの乗り場にはすでに行列ができている。
あまりの人の多さに圧倒された気分になりつつも、ザックを背負って歩き出す。が、河童橋のたもとに来てまた唖然。橋の上から穂高連峰を撮影するために順番待ちの列ができている。標高1500mの山中に突如出現した大都会、それがいまの上高地だ。
これもすっかり新しく立派になったビジターセンターを横目に見て、小梨平のキャンプ場へ。一人一泊¥700、さすがにこの時期はテント泊は少ない。川沿いの一角に愛用のエスパースを張り、ようやく人心地がつく。
夕方五時ころには、吊尾根から明神岳にかけての岩肌が夕日に紅く染まった。それにしても、穂高ってこんなに高い山だったのかなぁと、あらためて思った。ふだん見慣れている大雪山は、視線を十度ほど上げれば稜線を見渡せるが、梓川から穂高の稜線を見上げると明らかに首の裏側の筋肉に負荷を感じるのだ。「昔の自分は他人」とはよく言われることだが、あの稜線を飛び回っていた自分がいたなんて、いまでは夢のようだ。六時を過ぎてすっかり闇につつまれた穂高の稜線上に、ほぼ満月にちかい月が輝きだした。
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