| 第26回 番外編・穂高再訪(2) |
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10月16日 夜明け前、ゾクゾクと寒気がして目を覚ます。イヤな予感がしたので、寝袋のファスナーを開けてヘッドランプの光で見てみると、寝袋の表面が結露でびしょ濡れになっている。なんてこった!今夜は三千メートルの稜線でテントを張らなきゃならないのに、凍った寝袋かよぉ……、などと暗い気分になりつつ、お湯を沸かしてお茶を飲む。外も明るくなってきたので、テントの入り口を開けて外を見る。オオッ、凄いっ!真っ青な空の下、穂高の稜線が朝日に輝いている。暗い気分がすっかり吹き飛んでしまった。
テントをたたんで七時前に小梨平のキャンプ場を出る。きのう通った河童橋までもどり、橋を渡って右岸沿いに岳沢への登山口を目指す。朝飯前の散歩客で河童橋はすでに賑わっている。散策路はしっかり整備され、あちこちに道標があるのだが、どういうわけか登山口を指すものがない。絶対数がちがうので仕方ないのかも知れないが、散策客には親切だが、登山客には不親切といえる。木道には霜が降りているので滑らぬよう慎重に歩く。
紅葉期のカツラの木の放つ甘い香りが立ちこめる気持のよい林を30分ほど歩くと、岳沢経由で前穂高へ向かう登山道の入り口に到着。途中の山小屋・岳沢ヒュッテが、「平成18年の雪害により全壊」し、利用できない旨の看板が立っている。後で、穂高岳山荘の宮田氏に聞いたところでは、「国立公園内に個人営業の山小屋を建てられる時代ではない」つまり行政の介入なしでは再開は不可能だろうという話だった。 登山口から高度を上げるにつれて、ウラジロモミなどの針葉樹が多くなってくる。登山道は「近自然工法」[註1]を思わせる石組みのしっかりした道だ。標高2000mを超えるあたりからダケカンバ・ウラジロナナカマドが多くなる。すでに落葉し、冬枯れ状態の木が目立つ。休憩していると、熊鈴をつけた若い登山者が軽い足取りで抜いていった。
木々の背が低くなり、見晴らしがよくなってくるあたりで、岳沢を左岸から右岸へ渡ると、旧岳沢ヒュッテの跡地に着く。きれいに積まれた石垣と石畳の痕が痛々しい。日本語と英語・ハングルで書かれた「岳沢ヒュッテ 休業中のお知らせ」だけがポツンと建っている。
山小屋跡からすこし登るとすでに旭岳の山頂の標高(2291m)になるが、森林限界はまだ上で、所どころにカラマツが生えていたりする。そしてこのあたりからハシゴや鎖が連続し、胸を突くような急登の連続になる。2502mの「カモシカの立場」で一休みするが、稜線はまだ遠い。これだけ頑張って登ってるのに、稜線はあんなに遠いのかと、いささか落胆する。去年妙高山に登るまで、15年ちかくも道内最高峰の旭岳より高い山には登っていなかったので、三千メートル級の山へ登る感覚がなかなか戻らない。
「カモシカの立場」から「岳沢パノラマ」「雷鳥広場」と高度をかせぐにつれて、稜線がしだいに近づいてくる。西穂から天狗岩(天狗ノ頭)にかけての稜線や、九死に一生を得て帰還したなつかしい明神岳の稜線[註2]が、すでに視線より低い位置にある。それにしても、よくあんな所へ行けたものだと、昔の自分に驚いてしまう。昼過ぎにようやく紀美子平着。
前穂山頂へむかう登山道と、山頂を巻いて吊尾根へむかう登山道との分岐にあたる紀美子平は、登山道(重太郎新道)の開拓者である今田重太郎さんが、若くして亡くなった愛娘の紀美子さんの名にちなんで命名した場所だ。前穂山頂へ最後に登ったのは、正確に何年前かは思い出せないが、ルートは相変わらずわかりにくい。山頂へむかう途中で標高は3000mを超える。日陰には最近降ったと思われる雪が解け残っている。
12時40分に標高3090mの前穂高岳山頂に着く。すこし雲が出てきたが、北穂と槍ヶ岳がかろうじて見えている。視線を南へ転じると、明神岳のとんがった山頂が眼下に見える。ルートがはっきり見える。むかしやった無茶[註3]を思い浮かべて苦笑してしまった。この時期は日没が早く時間的に余裕がないので、写真を撮ってすぐに紀美子平へ引き返す。
前穂の山腹を巻いて吊尾根の最低コルまでは30分ほどだが、所帯道具一式を詰め込んだ大きなザックを背負っているとバランスを崩しやすい箇所もあり、要注意だ。最低コルから吊尾根の稜線上に出て来た道を振り返る。北東側にサメの歯状に顕著な北尾根を延ばす前穂は、つくづく形のよい山だなと見入ってしまう。
垂直にちかいルンゼを鎖をたよりによじ登り、いくつかの小岩峰を超えて尾根上に出ると、ようやく奥穂山頂が見えてくる。遠目に見ると、岩屑を寄せ集めてつくったケルンの集合体のようにも見える。ジャンダルムからロバの耳・馬の背へとつづく痩せ尾根がグッと近づいてくると、もう山頂だ。
日本で三番目に高い山頂には「穂高神社嶺宮」が祀られている。盗難防止のためか?ステンレス製と見られる重そうな賽銭箱に“気持”を入れ、無事登頂のお礼をする。雲が出てきて、ジャンダルムがときおりガスに煙る。雲の切れ間からは、今まで見えていなかった奥飛騨の名峰・笠ヶ岳が見え隠れする。
山頂で休んでいる間に、前穂方面から一人、西穂方面から一人、登山者が到着した。いつ冬山になってもおかしくないこの時期に西穂から縦走するにしてはあまりに軽い装備だ。「雪があってメチャメチャ危なかったですぅ~」と、若者らしい軽いしゃべりで語っていたが、自分の若いころを考えると、注意する資格もなかろうと思い、言葉を飲み込む。
奥穂山頂からきょうの宿泊地・穂高岳山荘までは小一時間の下りだが、じつはここが本日一番の難所だった。登山者に踏み固められた残雪の表面が夕方の冷気で冷やされて滑りやすいのだ。ザックが重いうえに靴底がすり減ってさらに滑りやすい。ダブルストックで体を支えつつ、おそるおそる下る。山荘の敷地へ入るまで一歩たりとも気を抜けなかった。まさに「雪があってメチャメチャ危なかった」。いやはや、若い登山者に注意などできる身分ではない。
穂高岳山荘は、外装が下見板から丸太小屋風に変わってはいたが、昔ながらのたたずまいでホッとする。小屋のなかへ入って受付を済ませるが、スタッフは若い人ばかりで、知った顔はなさそうだ。テン場代はトイレ料金込みで一人一泊¥600、水は1リットル¥150。こんな時期にも関わらず、宿泊者はけっこう多そうだ。涸沢岳側の斜面に、段丘上につくられた"猫の額"ほどのテントサイトに幕営し、早めの夕食を済ませる。
朝露で濡れた寝袋もザックから取り出すとさほど気になるほどではなく、一安心。とっぷり日が暮れているとはいえ、寝るには早すぎるので、山荘の図書室で暖をとろうと、ヘッドランプを点けてテントを出る。玄関を入り、なんとなく売店に目をやると……。ンッ?あれは! 売店にいたオジさん(失礼!)におずおずと声をかける。 「こんばんわ~」。 こちらの姿を見るなり目が点になる。 「アッレっー!」 そう、売店にいたオジさんとは、むかし一緒に働いていた八っちゃんこと宮田八郎氏だった。さっそくワンカップをごちそうになり、話し込む。お互いの近況や共通の知人の話などで盛り上がるが、とくに興味を引いたのは以下の点だ。 ・これまで小屋のオーナーとして采配を振るってきた今田英雄氏が一線を退き、娘のMさんが跡継ぎとして今シーズンから小屋に入っているとのこと。時代は変わってきているのだなとつくづく思う。 ・登山客の動向も変わってきている。90年代の百名山ブームのころにくらべて宿泊者はだいたい三割減だという。以前は繁忙期と閑散期がハッキリしていたのが、最近はいわゆる「平準化」してきており、以前ならほとんど人が来なかった10月10日過ぎでも「見てのとおり」相当数のお客さんがやって来る。昔ならヒマな時期にこなせていた仕事ができなくなり、「仕事は、やりにくくなった」という。 ・個人客やグループなどにくらべてツアーの割合が多くなったのも近年の特徴らしい。夏の幌尻山荘を満員にするCツーリズム・A計画・AMトラベルの“御三家”が幅を利かせているのは北海道とも共通点する。多くのツアーのなかには安全対策に問題がありそうなものも見られるという。 ・もうひとつ気になったのが「気候変動」の話。いわゆるゲリラ的な豪雨による気象遭難が増え、転落や滑落などの人為的な事故を加えると、穂高だけでも年間10人ほどが亡くなっているという。 いきなり三千メートルの稜線にあがってきて酒を飲んだせいか、やけに酔いが早く、いろんな話をした割には忘れてしまったが、旧友とすこしでも話ができて良かった。ほろ酔い加減でテントにもどり、その勢いで眠りにつく。 [註1]「近自然工法」 環境省が大雪山や屋久島などで行っている登山道の修復方法。石組みなどの古来からの工法で、木や石など現場にある材料を使い、原則として人力で作業を行う。 [註2] 九死に一生を得て帰還したなつかしい明神岳の稜線 連載第六回「明神岳へ」参照 [註3] むかしやった無茶 連載第六回「明神岳へ」参照 |
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