| 第27回 番外編・穂高再訪(3) |
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10月17日 地面からジンジンと伝わってくる冷気で目が覚める。まだ夜明け前の4時45分。テントの入り口を開けると、フライシートの内側に薄氷が張っている。空にはうっすらと雲がかかっているが、ほぼ満月にちかい月とオリオンがくっきりと見える。お湯を沸かして朝食を食べ、茜色に輝いている東の空を見ながら涸沢岳をめざす。
ちょうど六時に、蝶が岳の上空あたりから太陽が顔を出す。南北に延びている槍穂高の稜線の東斜面が、紅く色づきはじめる。岩肌が朝焼けに染まるのはほんの一瞬なので、次から次へと忙しくデジカメのシャッターを押しているうちに、あっという間に時間が過ぎる。
3103mの山頂からは、ちかくの奥穂や北穂・前穂・槍ヶ岳、谷を隔てた常念山脈[註1]や笠ヶ岳をはじめ、南アルプスから富士山までが見渡せる。山頂には私だけ、展望は独り占めだ。宿泊客のほとんどは山荘前のテラスから朝日の撮影をするだけだが、ほんの15分ほど登るだけで展望は全然ちがう。気軽に朝日・夕日を楽しめる場所としてもっと知られてもいいのではないだろうか。
ゆっくりと展望を楽しんだあとはテン場にもどってお茶を飲み、帰り支度をする。日のあるうちに上高地に着けばいいので急ぐ必要はない。天気もなんとか保ちそうなので、ゆっくり晩秋の山を楽しめばいい。
挨拶をしに山荘へ行くが人影がないので、仕方なく出発。ザイテングラートの降り口に立って見下ろすと、涸沢ヒュッテにはまだ日が射しておらず、寒々としている。
急坂を下りきって、下部の岩塊地をトラバースし、一時間ほどで涸沢小屋に着く。この小屋もリニューアルされて小ぎれいになっている。小屋前のテーブルで白湯を飲んで一休み。山荘で買った水を湧かした白湯の味が妙に懐かしい。あのころの詳しい記憶はなくなっても体は山を覚えているらしい。
吊尾根上空に巻雲が出ているが、今日いっぱいは天気は保つだろう。まだ日陰になって寒々とした涸沢ヒュッテをパスして本谷方向へ下りる。霜の降りたチングルマはいかにも晩秋らしいが、ところどころまだ紅いナナカマドもある。涸沢を目指して登ってくるツアーや中高年のグループとのすれ違いも多くなる。ほとんどの登山者がダブルストックだが、ちゃんと使えている人はまずいないように見受けられる。
一時間半ほどで本谷橋へ。以前は大雨のたびに流されていたこの橋は現在、水流からかなり高い位置に架けられた立派な吊り橋と、水流のすぐ上に架けられた簡素な木橋との二本の橋で谷を渡るようになっている。
橋を本谷の左岸へと渡る。ここから先は、もう急な上り下りはない。初めて穂高小屋へ入った1985年、雪と岩だけの世界で春の二ヶ月を過ごしたあと、休暇をもらって下山したときに、新緑とはこんなに美しいものかと感激したのはたぶんこの辺なのだが、樹種までは覚えていなかった。今回15年ぶりにこの道を歩いてみて、あのとき感動をもたらしてくれた“恩人”に目星がついた。それはたぶんブナかヤナギだったのではなかろうか。対岸に屏風岩のみごとな岩壁を見あげながら歩いていると、山吹色に色づいたブナの大木が道の両側に何本か立っている。いまは黄葉しているこれらの木々が、あのときは鮮烈な萌葱色だったと思われる。沢筋にはヤナギ類も多く、これも当時は新緑だったはずだ。いまとなっては想像するしかないが……。
通称「横尾の岩小屋」と呼ばれる大岩の脇を通り、カツラの木の甘い匂いがただよう森を抜けると、梓川本流にかかる巨大な吊り橋が現れる。この「横尾大橋」は1999年竣工となっているので、私が穂高にいたころはまだなかったわけだ。橋を渡って横尾山荘で一休み。道行く人たちは登山客よりも観光客が多い。
横尾からは登山道ではなく、車も通れる林道になる。起伏のない場所を歩くのが苦手なのでペースがガクッと落ちる。観光のお姉さんたちに抜かれながら、一時間ちょっとで徳沢に到着。腹が減ったので徳沢園で山菜蕎麦¥750を食べる。さすがに信州だけあって蕎麦は手打ちで美味い!のだが、上にのっている山菜は、パック詰めのものらしく、化学調味料の味がキツい。山菜蕎麦ではなく、山菜なしの「かけ蕎麦」にしてくれたほうが値段も安くて美味いのに……。
観光客でにぎわう梓川の左岸伝いに、井上靖の小説『氷壁』の舞台になった前穂東壁を見あげながら小一時間、明神へ至る手前で徳本峠へむかう登山道が分かれている。が、標柱に紙が貼り付けられており、こう書かれている。 「徳本峠登山道(信濃路自然歩道)の通行について 災害による道路損壊、崩落箇所の応急復旧・工事などを実施しております。通行に際しては、危険箇所もあることを充分認識の上、自己責任においての利用をお願いします。 環境省、国土交通省、林野庁、長野県、松本市」 “自己責任”が赤字になっている物々しさだ。こう書かれていると行ってみたくなるが、今回は時間がない。また次回の楽しみにしておこう。それにしてもあの懐かしい「峠」[註2]はいまどうなっているのだろう。 明神から上高地までのあいだは観光客でごった返していた。とりあえずビジターセンターへ入って、ケータイの電源を入れ、自宅に無事下山の連絡をする。帰りのシャトルバスは一時間待ちだった。
[註1]常念山脈 燕岳から大天井岳・常念岳・蝶が岳へと連なる山稜のこと。安曇野からは主稜線の槍穂高連峰の手前に見えるので「前山」ともいう。 [註2] 懐かしい「峠」 連載第18回「峠の山小屋」(2)参照 |
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