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2010/09/06 Monday 23:35:45 JST
 
 
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Bureau of Ecotourism in Asahidake Range

 

山楽舎BEARは 「 大雪山の“いま”を楽しみ“あした”を考える 」 をテーマに、登山ツアー・エコツアーを行っているガイド組織です。

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第28回 黒部源流へ(1)
 前回まで三回にわたって現在の穂高(2008年秋)のようすを報告したが、今回からはまた、時間を20年以上さかのぼり、1985年にタイムスリップする。


 十月になった。
 夜明けちかくなると、肩口から入り込む寒気で目が覚めて眠れなくなる。一面に霜が張りついたガラス窓は凍りついて開かず、外も見えない。強風が窓枠を激しく揺さぶる音だけが静まり返った部屋のなかに響く。

 お客さんに出す朝食の準備を済ませて外に出てみる。石畳のテラスはうっすらと雪に覆われている。冷凍庫の霜を掻き落としたようなサラサラの粉雪だ。奥穂の稜線を見上げると、尾根の中心を境に、風上側は白いものに覆われているが、風下側は灰色の岩肌をさらしている。山越えの気流に乗って運ばれた水分が昇華し、風上側の山肌に付着して「エビの尻尾」が出来ている。気温マイナス四℃。西風が強い。

 初雪、そして根雪へと、冬は駆け足でやって来る。これ以上“待つ”のは無理だ。正月番組の撮影のために小屋に滞在していたテレビ屋さんたちが下山したのを機に、休暇をもらって「長旅」に出ることにした。

10月3日
 昼食後小屋を出る。涸沢岳を横切り、先日の事故現場へ来た。登ってきたパーティーがいるので様子を見る。崩れ落ちたばかりの岩肌にしがみついている人たちを見ていると、また崩落しはしないかと心配になる。


過去何度か崩落事故が起きている涸沢岳のクサリ場
(2008年10月17日撮影)


 一行をやり過ごしてこちらが下りる番になった。崩落した右側の岩壁を避け、ひかくてき安定しているはず左側の岩場を、鎖とボルトをしっかりつかんで慎重に下る。安定しているように見えても岩肌はもろく、小さな石を落としてしまった。下で待っているパーティーがいたので、冷や汗ものだ。鎖を下りきり、このパーティーをやり過ごしている間にも、上から岩が崩れてこないか心配になる。

 北穂から涸沢岳にむかうパーティーは多い。狭い稜線上の縦走路なので「交互通行」しかできず、どちらか一方が道を空けなくてはならない。道ばたに立ってすれ違う登山者たちを見ていると、足下がおぼつかない人や、岩登りの基本である三点支持ができていない人が多いのに気づく。落石事故などの天災のほかにも、身の丈をわきまえない登山者による事故が減らないはずだ。

 傍から見て「無謀な遭難」で亡くなった登山者たちにも言い分はあるかもしれない。--たしかに自分は「無謀」だったかもしれない。だけど死んだのは、自分の意志の結果だから納得している。ヘリや捜索隊を動員してまで捜索してくれなんて頼んだ覚えはない。もうすこしここで休んでいたかったのに--と。かくいう私自身も、じつはこのとき、彼ら以上に無謀な行為をしつつあることに内心気づいていた。それは最後の“お楽しみ”である。

 季節外れのイワギキョウが一輪だけ咲いている。稜線の信州側は日当りがよく、ポカポカと暖かいのに、飛騨側の日陰に入ったとたん、手袋が欲しくなるほどの寒風が吹いている。

 涸沢岳から北穂にかけての縦走路は以前からしばしば崩落し、通行不能になることが多かった[註1]らしい。歩いているととつぜん、足下の大岩が動くこともある。ルートをしめすペンキの○印を見失ってしまい、仕方なく、ひかくてき安定した岩の上を歩いているうちに、いつの間にか滝谷の絶壁のふちへ出ていた。幅30センチほどの岩棚が続いているが、ザイルなしでは行けそうにない。来た道をもどって正規ルートをさがす。

 本来の縦走路はところどころに不安定な大岩があって怖い。もっとも、岩の安定しているところを選んで道をつけても、厳しい風雪にさらされて凍結融解を繰り返し、岩塊が造りだされている場所だから、「安定」も一時的なものでしかない。正規ルートといっても、それほど権威があるわけではないのだ。危険を危険として受け容れる覚悟がある人だけが歩ける場所と言っていいかもしれない。

 ヘリポートがある北峰は人が多いので避け、三角点がある南峰でザックをおろす。縦走路は山頂を通っていないので、三角点を踏みにくる人は意外に少ない。というよりも、山岳写真の撮影ポイントとしてあまりに有名な北峰の陰に隠れてしまっているといったほうがいいだろう。


北穂高から大切戸越しに槍ヶ岳を望む
(1995年10月3日撮影)


 秋の透明な空気を腹一杯吸い込みながら遠くの山々を眺めていると、このまま時間が止まってくれればと、いささか感傷的な気分になる。ひとしきり瞑想に耽ったあとは、きょうの宿泊地・北穂小屋へむかう。

 受付で二階のつきあたりの部屋を指定された。階段を上り、大部屋の真ん中の通路を横切って部屋に入る。床にはゴザが敷かれ、窓からは遠く浅間山が見える。小屋の人たちとお茶を飲みながら歓談したあと、夕日を見に外へ出た。


夕映えの槍ヶ岳
(1995年10月3日撮影)


 北峰と南峰との鞍部から踏みあとを辿り、槍ヶ岳がよく見える岩峰の上に出た。ピサの斜塔状にななめに中空に突き出た頂から真下を見ると、滝谷の奈落の底がせまっている。ときおり起こる自然落石の音があちこちの岩壁にこだまし、長い尾を引きながら静まり返ってゆく。


夕暮れ色に染まる絹雲
(1995年10月3日撮影)


 日がかなり西に傾いてきて、南の空に浮かぶ羽毛のような雲の一点が虹色に輝きだした。槍ヶ岳から大切戸にかけての山肌がしだいに赤く染まりだす。西の方には、笠ヶ岳から白山上空にかけてひろがるイワシ雲がオレンジ色に輝いている。山の端の一点に最後の光が吸い込まれ、夜の帳がゆっくりと降りてくる。空一面にひろがった絹雲もほのかな桃色に染まっている。足下がまだ見えるうちに小屋へ帰ろう。


白山に沈む夕日
(1995年10月3日撮影)


[註1]
涸沢岳から北穂にかけての縦走路は以前からしばしば崩落し、通行不能になることが多かった。
今田重太郎著『穂高に生きる』にはこんな記述がある。

 案内人を含めて一行六人、穂高小屋を出発して縦走路を槍ヶ岳へ向かった。穂高連峰はどこも岩場ばかりであるが、とくに北穂高の飛騨側は山肌がもろく、下は崩壊性の岩層でその上に大小の岩がすわっているようなところである。
 縦走路は唐<ママ>沢岳のクサリ場を降りて、北穂高南峰でぐっと飛騨側を巻いて行くところがあった。上部は飛騨側になるが、下部は信州側に切れ込んだ地形のところで、ここに大きなオーバーハングの岩があった。一行のうちの二人がその岩の上に乗り、端の方へ歩いて行った瞬間、岩が動き出した。アレッという間に岩は二人を乗せたまま、グラグラと崩れはじめ轟音とともに北穂沢へ崩れ込んで行った。<中略>
 この縦走路は以前からよく崩れて、通行不能となることがあったので、そのつど人夫を出して修理してきたが、岩はもろく手のつけようもないところであった。そこで徹底的に直す必要があると思い危険な岩石を根こそぎ落として安全なところにしようと決心した。

 
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