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2010/09/06 Monday 23:32:59 JST
 
 
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Bureau of Ecotourism in Asahidake Range

 

山楽舎BEARは 「 大雪山の“いま”を楽しみ“あした”を考える 」 をテーマに、登山ツアー・エコツアーを行っているガイド組織です。

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第31回 黒部源流へ(4)
10月8日
 降り続いていた雨が夜更け過ぎに雪へと変わった。初積雪だ。窓の外は吹雪き模様。予報は「くもり時々雨のち晴れ」。予報を信じて出発を一日遅らせたあげくにこの吹雪だ。もう信じない。

 しかもここまでジョギングシューズで歩いてきた。以前、「無謀な行為をしつつあることに内心気づいていた」と書いたが、実はこのことである。もし新素材[註7]の靴下をはいていなければ、確実に凍傷になっていただろう。ことしは根雪になるのが遅いから大丈夫ではないかなどと、根拠のない予想にもとづいて、ひとたび荒れれば冬山と化すこの時期に、なぜジョギングシューズで歩くことになったのか、というと……。

 最初は、ニッカーズボンに登山靴という“正装”で出かける予定だった。ところがいざズボンを履いてみると、しばらく洗濯していないせいもあって汗臭く、ガマンできない。しかも登山靴は重いし……。というような、言い訳にもならない理由で、危険を覚悟で出発した。確信犯であり、最悪の意味での「山慣れ」といえる。

 雲ノ平山荘のスタッフの温かい志で、ホットミルクを出してもらい、出発の準備にかかる。ヒゲ面のTさんが発案した凍傷予防策で、靴下の上にビニール袋を巻いて、その上に靴を履く。思い出深い雲ノ平山荘ともいよいよお別れのときだ。一緒に小屋閉めの作業をした居候のH君も見送ってくれる。

 雪の上につけられた足あとをたどって15分ほどで先行者に追いつく。この人は女性の単独行者で、山荘でもなんとなく態度が横柄だったので、小屋番のTさんから「天気が悪くて迷うかもしれないから、一緒に行ってくれ」と頼まれなければ、同行しようとは思わなかった。女性のほうも余計なお世話だと思っていたかもしれない。

 この時期に一人で北アルプスの奥座敷を歩くような女性だから、ひとかどの山ヤだと思っていた。ところが、それがまったくの買いかぶりであることがすぐに判明する。手袋を持っていないというのだ。手袋なしで晩秋の山へ来るとは……。常に懐手をしながらあるくつもりだろうか?さすが小屋番のTさんの勘は正しかった。

 それに加えてコンパスもない。これではアブナくて一人で歩かせるわけにはいかない。雪山をジョギングシューズで歩く以上の暴挙である。聞けば「この道は初めて」だという。通いなれた道ならともかく、初めて歩くところへ、しかもコンパスを持たないで……。晴れた夏の縦走路ならなんとかなるが、まわりは見わたすかぎりの雪原、しかも吹雪で視界はほとんどない。登山道と区別がつきにくい踏みあとがあちこちに延びているうえ、降り積もった雪でルートをしめすペンキのマーカーが見えない。コンパスの使い方のフィールドテストのような条件だ。

 ときどき間違った踏みあとに入り込みながらも、地図とコンパスで方向を定めながら進んで行く。まだ雪がついていない岩肌のペンキ印や、エビの尻尾[註8]がビッシリついた道標を見るとホッとする。枝の上に積もった積雪が凍りついてズシリとおもくなったハイマツが、登山上を覆い、それをかき分けながら進むのは、骨が折れる。

 黒部川の源流を渡ったところで見た道標を最後に、いよいよ道がわからなくなる。ハイマツ帯のなかにつづく溝状の踏みあとをたどるうちにルートが消えてしまった。たしかに記憶では、ひたすら沢づたいに進めばいいことになっている。いろんな方向に走っている踏みあとのなかから、あえていちばん縦走路らしくないのをえらび、沢筋をどんどん詰めて行くと、三俣山荘のキャンプ場の一角に出た。

 吹雪のなかから二人パーティが現れる。「双六へ行く」といいつつ、向かっているのは、真逆の太郎平方面だ。「双六」と書かれた道標をたしかに見たというので、おそらくリングワンデルング[註9]をしたのだろう。

 三俣蓮華岳の山腹を巻いて双六小屋へ向かう巻き道をこの二人に教え、単独行の女性をあずけて先行する。「勝手知ったる」道だけに、悪天の中でも平気だ。こんな天気の日には雷鳥をよく見かける。羽の裏側や腹はすでに白くなっているが、首から肩にかけてはまだ夏毛のままだ。

 双六小屋でひとやすみ。「足下身軽だけど、季節が違うぞ」と、支配人のYさんに皮肉を言われる。「上がって何か食って行けよ」というお言葉に甘え、牛丼をごちそうになる。小屋主の小池さんは撮影に出ているらしい。「寒がりのくせに、撮影となると、飛んで行くんだから」とは、さすがにプロの写真家だ。

 ストーブにあたりながら外を眺めていても、いっこうに止む気配がないので、あきらめて重い腰を上げる。

 稜線上は乾雪だったが、尾根筋を離れて鏡平へ近づくにつれて雪が湿ってきた。鏡平周辺にはつい数日前まで赤や黄の葉が鮮やかに色づいていた名残がある。高度を下げるにつれて雪は雨へと変わる。振り返ると、稜線付近はうっすらと雪で覆われている。それにくらべて山裾はまだ黄紅葉が盛りだ。モノクロの世界とカラーの世界の対比がおもしろい。道が登山道から林道へ変わり、ワサビ平を経て、氷雨に打たれながら新穂高のバス停に出ると、傘をさした観光客がいきなり目に入ってきた。


10月9日
 白出小屋へむかう車中から見る穂高連峰は雪をまとっていた。初冠雪だ。下界では雨だったが、山は一日中雪だったらしい。低気圧が去り、透き通った青空がひろがっている。きのうがこんな天気だったらなぁと、恨めしくなる。日程の関係で、今日中に戻らなくてはならなかったので、吹雪のなかの強行軍にならざるを得なかったのだ。


うっすらと雪化粧した白出荷継小屋付近
(1995年10月9日撮影)


 白出沢と蒲田川右俣との合流点・白出沢出合付近からの眺望は素晴らしかった。麓の常緑樹は緑、中腹は黄葉、稜線付近は冠雪--と、冬と秋とが同居したこの時期ならではの景色、一年のなかでも最も美しい一日ではないだろうか。

 白出小屋から一時間ほどで樹林帯を抜け、あとは稜線まで一直線の登りになる。いつもなら、急な岩塊斜面につづく九十九折れの道が「天国の階段」のように続いていて、見ただけでウンザリなのだが、きょうは一面銀世界でどこが登山道かわからず、精神的な負荷は軽い。


積雪でルートがわからない白出沢
(1995年10月9日撮影)


 とつぜん足跡を見つけた!と、思って近づいてみると、それがクマのもだったりして驚く。つい先ほどまでは赤く色づいたナナカマドが目を楽しませてくれていたのに、白出荷継ぎ小屋から上は厳冬期だ。

 ジョギングシューズで足場を切りながら登って行くと、上から降りてくる二人組にあった。ザックを下ろして休憩をはじめた二人に合わせて、こちらも一息入れる。二人のうちの一人が尋ねた。
「アレハナンデスカ?」
「ジャンダルムの飛騨尾根です」と答えるが、どうも発音がおかしい。もう一人の男性は無言の行である。
話しているうちにこのお二人は韓国からのお客さんだと判明する。韓国ではいま(1985年)登山ブームだとかで、穂高へ来る登山者も多い。韓国からのグループのなかにはたいてい日本語を話す人がいるので、あまり外人という気はしない。

 そこで思い出したのが、小屋へ来る典型的なガイジンたちのこと。英語圏から来るヨーロッパ系の人たち(アフリカ系は見たことがない)は、まず日本語を話さない。小屋へ入るなり「It's beautiful weather!(やぁ、いい天気ですね)」である。日本語を話す気はないらしく、スタッフも片言英語で対応せざるを得ない。欧米-日本-韓国の関係を象徴しているような気がするのは、私だけであろうか?

 昼頃穂高小屋に戻った。


黄葉のダケカンバとジャンダルム飛騨尾根
(1995年10月9日撮影)


[註7]
新素材 濡れても保温性が高い、高性能の化学繊維

[註8]
エビの尻尾 「樹氷」と同じ風成雪で、風上に向かって成長する氷の結晶が「エビの尻尾」を思わせるため、そう呼ばれている。

[註9]
リングワンデルング 吹雪や霧で視界が利かなくなるホワイトアウト状態になると、上下左右の感覚がなくなり、同じ場所をグルグルと回ってしまうことがある。これを「リングワンデルング」という。
 
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