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山楽舎BEAR  
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2010/09/06 Monday 22:28:47 JST
 
 
山楽舎BEAR

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Bureau of Ecotourism in Asahidake Range

 

山楽舎BEARは 「 大雪山の“いま”を楽しみ“あした”を考える 」 をテーマに、登山ツアー・エコツアーを行っているガイド組織です。

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第32回 冬の訪れ
10月12日
 連休のための「特別警戒」に来てきたはずの県警パトロール隊は、部屋にこもって終日雀卓を囲んでいるようだ。在庫が底をついていた卵を仕入れに下界へ下りていた松っつぁんが帰ってきた。お土産に持ってきたミカンを囲んで三時のお茶になった。まだ青い早生ミカンは皮をむいたとたんに爽やかな香りを放つ。下界では秋の風物詩だが、標高三千メートルの世界では、烈風が吹き抜け、風が窓ガラスをたたきつける音が、風雪の季節の到来を告げている。

 深い霧が稜線を飲みこみ、ときおり雨粒となって地面をたたきつける日が続く。寒冷前線が通過すると急激に温度が下がり、雪になる。高気圧が張り出して天候が回復すると、まばゆいばかりの光が朝を告げる。日中の陽光で積雪の表面が解かされ、朝晩の冷え込みで氷結すると、滑落の恐れもでてくる。こんな状況でも登山者はやって来る。なかにはこんな“変わった”人たちも……

 夕食が終わった頃から四・五人の女性が乾燥室に閉じこもって宴会をしていた。「酸欠になりますから止めてください」と注意しても聞く耳を持たない。ついに消灯の時刻になり、彼女らはそそくさと登山靴を履いて出て行った。実はテント泊のお客さんだったのだ。いくらストーブが焚いてあって温かいとはいえ、寒いテントが嫌なら、小屋に泊まればいいものを。経費を節約したい気持はわかるけど……。

 結局、県警パトロール隊の出番はなかった。


前穂にかかる夕焼けの虹
(1985年9月4日撮影)



10月14日
 九時頃まで降っていた雪が止み、青空が見えてきた。きのうまで三日間雨が降りつづいて積雪が解け、久々に姿を見せた前穂北尾根は黒々としている。紅葉が艶やかだった涸沢カールもすっかり冬枯れの景色になっている。どう見ても季節は冬だ。

 登山者が去った山荘では、小屋閉めの準備がはじまった。

 まずは布団の撤収から。大部屋の床に戸板をならべ、ブルーシートをひろげる。あちこちの部屋から布団を運びこみ、どんどん積み上げてゆく。あるていどの高さになったら、ブルーシートで風呂敷のように布団の山をくるむ。積み上げられた布団の山で、窓からの光が遮られ、部屋のなかは真っ暗になる。こうして用済みになった客室には、冬の間の積雪から小屋を守るための支柱が立てられ、外側から雨戸がはめ込まれて“冬眠”に入る。

 午後からは冬期小屋の“小屋開け”だ。夏のあいだ診療所兼倉庫として使われていた冬期小屋から、土産物や医療器具を搬出し、本来の姿に戻す。雪囲い用の鉄柵や戸板を窓枠に打ちつけて完成だ。ゴミ溜めにならないことを祈る。

 母屋の屋根に張りめぐらされていた気象ファクス用のアンテナや、食堂のオーディオ機器も撤去される。


朝焼けに染まる穂高岳山荘
(1985年9月30日撮影)



10月18日
 朝方の冷えこみが一段と厳しくなってきた。稜線の西側斜面には「エビの尻尾」がビッシリと張りついている。白出沢のダケカンバもすでに葉を落とし、冬ごもりの支度に入っている。

 強風をついて、焼却炉の灰のなかから燃え残った不燃ゴミを探す「落ち穂拾い」をする。気温マイナス2℃、風速8メートル、体感温度[註]はマイナス10℃だ。ダブルヤッケを着込み、軍手を二枚重ねにして作業をするが、すぐに指先の感覚がなくなる。左右の五本指どうしを叩き合わせたり、腕をブンブン振り回したりして、血行をうながし、凍傷にならないようにする。

 焼却炉の下にひろがる灰の斜面は、表面がガチガチに凍結して「凍土」になっている。埋まっている空き缶などの不燃ゴミも、凍りついていてなかなか掘り出せない。時間ばかり食っていっこうに作業が進まず、体だけはドンドン冷えてくるので、仕事を切り上げて小屋へ入る。

 本日の主な作業は、「サポート立て」だ。軒先や梁など、積雪の重みがかかりやすい箇所に鉄製の支柱(パイプサポート)を立てる。場所によっては10メートルちかい積雪から小屋を守るための大事な作業である。部屋にも廊下にもパイプサポートが林立した小屋内は、雨戸で外からの光が遮られ、ヘッドランプなしでは歩けなくなり、入山当時を思わせる。


雪の重みから建物を守る支柱
(1985年10月30日撮影)


[註]
体感温度 計器で測れる温度ではなく、実際に体で感じる温度のこと。風速が1メートル増えるごとに約1℃下がる。


下げ荷

10月21日
 午前六時現在気温氷点下6℃。“この冬”一番の冷えこみの朝を迎える。

 ハシゴや仮設水場の支柱にペンキを塗ったり、太陽光パネルの撤収、布団干しなどで午前中が終わる。

 午後二時半頃、クラちゃん・オトメさん・私の三名は、きのうの下げ荷用のヘリに積みきれなかった荷物を背負い降ろすために小屋を出た。背負子には40kgちかい荷物がくくりつけられている。「こんな重いのは初めてだ」と、クラ・トメの二人は、バテた新人のような歩みである。出発から30分経ってもまだ、小屋は呼べば答える距離にある。屋根の上から早く行けと合図を送る神さんの姿が見える。


小屋の奥穂側斜面に出現した氷瀑
(1985年10月9日撮影)


 白出荷継ぎ小屋に着いてすぐに、太陽が西の雲のなかへ消えていった。ふだんなら一時間ほどの道のりが、すでに三時間ちかくかかっている。このままでは白出小屋にたどり着けないと判断し、オトメさんは大きなダンボール箱の上にくくりつけていたザックを外し、デポしていくことに決めたようだ(この荷は翌日回収した)。

 さらに困ったことに、オトメさんはヘッドランプを小屋に置いてきたことが判明する。この先の岩切り道を、重荷を背負って照明なしで歩くのは危険だ。かといってビバークするわけにもいかない。われわれからの連絡がないことを心配して、救助隊が出動することも考えられる。--後から聞いた話では、小屋ではそんなことも見当していたらしい--。だいたい山中泊など視野にないので、寝袋も防寒具も持っていない。苦肉の策として、灯りのないオトメさんを真ん中にはさみ、私とクラちゃんが前後から足下を照らしながら行くことにした。

 すっかり夜の帳が降りた岩切道はまったく気が抜けない。クサリの着いている箇所は、私が最初に通過し、オトメさんの足下を照らしながら指示をする、という方法で切り抜けた。そして最大の難所「白兵衛橋」にかかる。オーバーハングした岩壁が大きくせりだして荷物を引っ掛けやすいうえに歩幅がせまい。一歩踏み外せば数十メートル下の川原に転落する。まず私がわたり、オトメさんの足下を照らす。最後の一歩がアブナいので、手を差しだして引っぱった。重太郎橋をわたり、左岸の大岩の上にザックを降ろす。満天の星を見上げ、もう大丈夫と息をついた。

 夜の森は不気味だった。同じような地形がくり返し現れるので、通いなれた道のはずなのに、現在地がよくわからなくなる。自然と足が速くなってしまう。気がつくとあとの二人の姿はなく、一人きりになっている。

 いつまで続くのかと思われるほど長い時間が経ったような気がしたが、白出小屋は見えてこない。重荷を背負って長時間歩いたせいで足がフラつき、木の根につまずいて転ぶ。ヘッドランプで照らし出された地面をよく見ると「奥穂高」と書かれた道標がある。もう少しのようだ。気を取り直して荷を担ぎ、歩きはじめて二・三分。ようやく白出小屋に着く。

 後続の二人も5分ほど遅れて到着。四駆車に乗り込んで林道を下りはじめるころには八時を回っていた。


夕焼け空
(1985年10月中旬撮影)



10月22日
 休暇で下へ降りていた松っつぁんと合流し、霧のなかでの重太郎橋撤収作業。翌日入山。
 
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