| 第33回 もうこんな生活イヤッ! |
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たとえば穂高小屋の生活を映画化したとする。遭難事故現場で活躍するスタッフの姿や、岩場に張りついて水道を架設する場面などの絵になる場面が穂高の雄大な自然のなかで繰り広げられる。舞台が舞台だけに、誰が監督をしてもそれなりに感動的な作品に仕上がるにはちがいない。もちろん事実をもとにしたドキュメンタリーである。が、しかし、それが山小屋生活の本質を捉えているかといえば、首をかしげざるを得ない。むしろ、感動的な名場面など例外に過ぎない。 山小屋が忙しいのは、1985年当時、五月の連休・夏休み・秋の紅葉時の、多く見積もっても二ヶ月くらいでしかなかった。あとはお客さんがバラバラと来るていど。梅雨時や秋の長雨の時期になると、泊まり客がゼロの日が続く。山小屋生活の本質は、すなわち「ヒマ」なのだ。週一回のフロ、月一回の洗濯はさして気にならないが、耐えがたいのがこのヒマである。降り続く雨で外へも出られず、何日も小屋にこもっていると気分が塞ぐ。 山小屋従業員も賃金奴隷という点では下界の労働者と一緒である。いくらヒマだからといって、終日読書というわけにはいかない。やることがなくても「仕事」はしなくてはならないのだ。つまり、ヒマを作らないために考えだされたのが仕事であるともいえる。
小屋の東西を囲む防風壁としての石垣や、小屋の前の石のテラス・ヘリポートなど、10年ちかい歳月をかけて造られた、ピラミッド造りを思わせる“壮挙”も、「太陽と風のロビー」も、極言すれば「ヒマつぶし」の延長でしかない。しかし、このような生産的なヒマつぶしならまだいい。なかにはただ単に時間を消費することだけが目的の「疎外された」ヒマつぶしもある。 とくに「下山まであと○○日」などと指折り数えるようになる十月の後半ともなると、小屋閉め作業もほとんど終わり、「疎外された」ヒマつぶしとお茶の時間だけで一日が終わることも多い。 10月25日 きのうから降り続いた雪が朝方には止み、青空がひろがる。気温氷点下7℃、今季一番の冷え込みを更新。風が強い。 きのう・きょうと二日がかりで、ガスレンジとフライヤー(揚げ物器)の汚れ落としをする。一日中ステンレスのたわしで擦りつづけ、半年分の汚れを落としてピカピカに磨き上げる。 10月26日 小屋主のヒデオさんは、小屋閉めをまたずして早々とヘリで下山。 きのうにくらべると気温が高く過ごしやすい。それでも掃除機のノズルを握っているとしだいに指先の感覚がなくなってくる。不思議なことに、寒さが厳しくなればなるほど腹が減る。代謝量が増えるので当たり前といえば当たり前のことだが、ヒトの体ってなんてわかりやすいのだろう。 厨房の窓には雪囲いの鉄柵がはめられ、食堂には林立する支柱の間に筋交い(すじかい)がかわれ、ますます息苦しい感じになる。客室の窓には次々と雨戸がはめ込まれ、はっきりしない天気のせいもあって、小屋内は日増しに暗くなってゆく。
10月28日 ほとんど冬山と言っていいこの時期にも、“変わった”登山者はやって来る。たとえばこんなやりとりだ。 登山者「涸沢から(山荘へ)の登りと、(山荘から)奥穂への登りは、どっちがコワイですか?」 私「そりゃ、やっぱり稜線上のほうがコワイでしょうね」 登山者「上のハシゴとクサリには重量制限があるのでしょうか?」 私「…………」 重いヒトが乗ったために鉄製のハシゴがこわれたり、クサリが引きちぎられたという話を聞いたことがあるだろうか。そんな事故が頻発すれば管理責任を問われるだろう。ほんとにコワイのは、ベテランでも天候判断が難しいこの時期に、こんな質問をする登山者が来ることだ。 生産的な労働とはかけはなれた、ヒマつぶしだけを目的にした"疎外された“労働”の決定版がついにはじまった。小屋の「備品調べ」である。食器棚にあるすべての皿の枚数と種類、箸の本数から包丁の数、水道の蛇口の数にいたるまで、国勢調査のごとく記録してゆく。ビニール袋をかけて来年の春まで収納したはずのものをまた引っぱりだして数えるのである。なんだかバカらしくなってくる。 調査を続けていると、生まれてはじめて耳にするような名前も出てくる。ターンバックルとか三角戸バネとか言われても、普通の人には何のこっちゃという感じだろう。ターンバックルはワイヤーや鎖どうしを連結して長さを調節する道具、三角戸バネは、ドアノブと連動して、ドアを閉めたときに柱側にバチッと食い込む三角形のくさび状の部品のこと。その他、使途も名前も不明なものは、姿形を絵に描いて個数を記入する。こんな正体不明のものがなぜここにあるのか、不思議だ。
10月31日 朝、窓の外がヤケに明るいので目が覚めた。なんだかとても温かい。しかも晴れている。寒暖計を見ると氷点下5℃。これで温かく感じるようになるとは、ヒトの適応力は大したものだ。 天気がよいので、久々に土方仕事をする。白出沢の登山道の降り口に、石畳を造るのだという。ひと抱えもふた抱えもある大石を涸沢岳の西側斜面から集めてきて地面に敷きつめる。 石はできるだけ平べったいほうが敷きやすい。ただ並べるだけではない。石と石との間に隙間ができたり、据わりが悪かったりしたら、適当な石を探しにガラ場を往復しなくてはならない。表面が平らでも、裏側(接地面)がデコボコだったりすると、地面を掘って据わりがよくなるように調整する。「地面」とはいっても、表面の数センチだけが砂利で、それより深い部分はすべて岩なので、掘るのも容易ではない。 ほぼ一日がかりで、ようやく畳六畳分くらいの石畳を組んだ。 11月1日 終日小糠雨が降りつづく。 ついにやることがなくなり、ストーブを囲んで一日じゅう本を読んだり、雑談をして過ごす。「もう、こんな生活イヤッ!」。神さんは言う。「どうしてこうなる(仕事がなくなる)のがわかってて、毎年、ガマンできずに片付けをやっちゃうのかな?」。労働時間を短縮して、毎日少しずつやれば、仕事も長持ちするだろうに。 ところが、さんざんヒマをもてあまして、イザ下山!という土壇場になって、近場で遭難騒ぎが起き、下山できなくなるということもままあるらしい。だから下山の日は、「事故が起こる前に」飛ぶように小屋を去る。
11月2日 夜のうちに雨が雪へと変わり、朝までに20センチほどの積雪になったが、やがて青空が見えはじめ、昼前には完全に晴れ上がった。 昼休みに涸沢岳に登る。地吹雪もようの天気が、新雪の山々に動感を与えている。槍ヶ岳が時おりガスのなかから顔を出すが、あまり展望は利かない。そろそろ戻ろうかと思っていると、クラちゃんとオトメさん、花子さんとヘイコさんが登ってきた。五人で記念写真を撮り、小屋へもどる。 11月3日 五時起床。最後の朝当番。早起きして、八ちゃんは奥穂へ、オトメさんは涸沢岳へむかった。六時過ぎ、蓼科山の裾野から朝日が顔をだす、雲ひとつない快晴。七時現在で気温は氷点下10℃。 掃除をすませ、土方仕事を始める。きのう掘り起こした土が凍結し岩のようだ。ツルハシで思いっきりぶん殴ると、火花が散る。手がビリビリとしびれる。凍土との戦いで、午前中の仕事はほとんどはかどらなかった。 午後になって気温が上がるとようやく凍土が解けだして、作業がやりやすくなった。しかし砂(小砂利)の層の下には、角だらけの大岩がはさまっている。大ハンマーで細かく砕き、掘り進む。力仕事をしていると汗ばむほどの陽気になった。寒暖差がこれほど大きいのだから、岩が風化してしまうのもうなづける。 白山から南へ続く稜線に、最後の夕日が吸い込まれていった。われわれ先発隊は明日下山するのだ。 |
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